仏教徒として、最も重要な事は、理性です。
(慈悲は、理性の能力の一つだと、理解しております。)
たとえ、相手がお釈迦様やスマナサーラ長老の教えであっても、客観的に観察をする必要があります。
軽視や疑いではありません。
理性をもって対話をするのです。
仏教で信は、手を合わせて有難がる「信仰」ではなく、
理解して、実践して、発見する「確信」です。
kālāmā suttaでお釈迦様は、私の話も、客観的に観察しなさい。
と説いておられます。
これが、仏教が真理の教えである事の証。だと。
私は、思います。
Vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
諸行は無常、アッパマーダに努めなさい。(Upekkhā:捨=心の揺れを捨てる)
2013年11月27日水曜日
2013年7月15日月曜日
捨:仏教を学ぶ目的と、頂いた宝
私の仏教での目的は、
瞬間瞬間、心の揺れを捨て、理性で、今を生きる事です。
私が、仏教で頂いた最大の宝は、
瞬間瞬間、心の揺れを捨てる訓練、仏道です。
Vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
瞬間瞬間、心の揺れを捨て、理性で、今を生きる事です。
私が、仏教で頂いた最大の宝は、
瞬間瞬間、心の揺れを捨てる訓練、仏道です。
Vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
ラベル:
★結花へ,
★私,
appamāda:不放逸,
kālāmā sutta:カーラーマ経,
upekkhā:捨,
viññū:理性,
インドゥリヤ バーワナー(六根の冥想),
苦の滅尽,
中道,
念-sati
2013年4月7日日曜日
2013年3月24日日曜日
怒りに打ち勝つ「善行為によってのみ、悪に勝てる」
パティパダー巻頭法話→怒りに慈しみで勝つ
http://www.j-theravada.net/howa/howa129.html
「怒りに打ち勝つ為には、怒らない事だ」これだけでは、何の意味かわからないのです。
人が怒って自分に攻撃するならば、自分も怒って逆襲すれば超簡単で早いのでは無いかと思う。
怒りを怒りで返すと言う事は、確かに超簡単です。
どんな無知な人にも出来る事です。
人間に限らず、動物も同じ事をやっているのです。
世界で正しいと思われているのは、インテリ的な生き方では無く、脳も発達してい無い動物たちがやっている行為なのです。
http://www.j-theravada.net/howa/howa129.html
「怒りに打ち勝つ為には、怒らない事だ」これだけでは、何の意味かわからないのです。
人が怒って自分に攻撃するならば、自分も怒って逆襲すれば超簡単で早いのでは無いかと思う。
怒りを怒りで返すと言う事は、確かに超簡単です。
どんな無知な人にも出来る事です。
人間に限らず、動物も同じ事をやっているのです。
世界で正しいと思われているのは、インテリ的な生き方では無く、脳も発達してい無い動物たちがやっている行為なのです。
2013年3月22日金曜日
捨:仏陀は「信仰を捨てなさい」と説いています。
タイの仏教書、チャヤサロー比丘の「心の友」の中で
「信仰とは誰も証明できない事を信じる事」と言っている。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
仏陀は、「信仰を捨てなさい。」と説いています。
仏教の「信」は、手を合わせてお願いしたり、言われた事を無条件で信じる「信仰」では無く
仏陀の話を → 理解して、正しいか自分で調査して、実践して、自分が発見する「確信」です。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp70.html
「信仰とは誰も証明できない事を信じる事」と言っている。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
仏陀は、「信仰を捨てなさい。」と説いています。
仏教の「信」は、手を合わせてお願いしたり、言われた事を無条件で信じる「信仰」では無く
仏陀の話を → 理解して、正しいか自分で調査して、実践して、自分が発見する「確信」です。
http://www.j-theravada.net/qa/qahp70.html
2013年3月14日木曜日
捨:所感-仏教は、心の揺れを捨てる事から始まる。
仏教を実践して理解して、発見した事。
仏道とは、
今のこの瞬間瞬間、心と体を観察して、心の揺れを捨(upekkhā)て、ありのままを観察して、智慧を発見する事。
仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事、から始まる。
執着を捨てるとは、心の揺れを捨てる事、から始まる。
仏道とは、
今のこの瞬間瞬間、心と体を観察して、心の揺れを捨(upekkhā)て、ありのままを観察して、智慧を発見する事。
24時間、深く穏やかな呼吸の出入りを、鼻孔と懐で観察(ānāpānasati sutta)して、心を整え
今、この瞬間瞬間、心と体を観察し、
心が感情で揺れた瞬間に、心の揺れを捨てて、本能や感情に支配されず、
心が感情で揺れた瞬間に、心の揺れを捨てて、本能や感情に支配されず、
有りの儘を、静かに観察して、道理に基づいて、冷静に思考し、
冷静に判断して、発見した瞬間に、智慧が現れる。
心の揺れを捨てた、その瞬間、苦の滅尽に触れ、苦の滅尽の味見(小さな経験)をしています。
心の揺れが、煩悩(貪瞋癡)。心の揺れを捨てた、その瞬間、苦の滅尽に触れ、苦の滅尽の味見(小さな経験)をしています。
心が揺れたら、煩悩が現れた状態。
その揺れを捨てる。
仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事、から始まる。
執着を捨てるとは、心の揺れを捨てる事、から始まる。
登録:
投稿 (Atom)