2013年3月24日日曜日

怒りに打ち勝つ「善行為によってのみ、悪に勝てる」

パティパダー巻頭法話→怒りに慈しみで勝つ
http://www.j-theravada.net/howa/howa129.html

「怒りに打ち勝つ為には、怒らない事だ」これだけでは、何の意味かわからないのです。

人が怒って自分に攻撃するならば、自分も怒って逆襲すれば超簡単で早いのでは無いかと思う。

怒りを怒りで返すと言う事は、確かに超簡単です。
どんな無知な人にも出来る事です。
人間に限らず、動物も同じ事をやっているのです。

世界で正しいと思われているのは、インテリ的な生き方では無く、脳も発達してい無い動物たちがやっている行為なのです。

無知な人、感情に操られている人は、
気に入らない出来事が起きたら必ず怒る。
それから相手に攻撃を仕掛けるのです。
相手も「何だこいつは」と思って、怒りを返します。
自分が怒っても、それに対する相手の怒りが嫌なので、先に怒った人が更に怒るのです。
この様に、互いに怒り合いの合戦をするのです。
怒りが燃えるだけで、消える事はありません。

理性のある人は、
感情的な怒りに怒り返すのでは無く、怒りとは何かと観察するのです。
怒りは炎の様な物で、怒った人も怒りの対象も、破壊する感情だと発見します。
相手がいくら悪くても、自分だけ怒らないで落ち着いていれば、自分の心が相手の怒りの炎で燃えない事と、相手の怒りも自分から怒りと言う燃料を与え無いから、そのうち怒りの炎が燃え尽きるのだと理解するのです。

では、人が自分に対して勝手に怒ったり自分を侮辱したり攻撃したり非難したりするのを、黙っていると損ばかりでは無いか。
相手がやりたい放題では無いかと思われるでしょう。

実は、そうではありません。
怒った人は、その時点で燃えているのです。
自分の心もいくらか破壊しています。
ですから、怒りを受けた自分が怒り返さ無かったならば、何の損害も受けてい無いのです。
相手に対しても、怒りの燃料を供給してい無いから、相手の心も最小限の害で済みます。
ですから、怒りに対して怒り返さない事で、自分の心が成長するだけでは無く、他人に対しても善行為をした事になるのです。

しかし、世の中はこの真理を知らないのです。
「眼には眼」と言う教えが正しいと勘違いして、他人を攻撃する事を正当化します。
だからこの世で一向に闘い、戦争などが消えません。
殺し合い、テロ行為なども消えません。
殺し合い、闘い合い、攻撃などを正当化しながら、平和な穏やかな社会を築きましょうとスローガンを掲げて叫んでいるが、決して実現出来る訳ではありません。
支離滅裂な話です。
全く矛盾です。
猛毒を飲むと元気になると言う様な話です。

真剣真面目に平和な社会を築きたいと思うならば、
生きる苦しみをいくらかでも和らげたいと思うならば、
人生に負けたくないと思うならば、
決して怒りに対して怒りを返してはならないのです。

それが、心の法則を知り尽くした仏陀の智慧なのです。
この世で世直ししようと思っている人々は、い過ぎるほどいるのです。

しかし、この世が良くなったためしはありません。
毒を以って毒を制すと言うやり方で世直ししようとしているのです。
努力すればする程、世の中に毒をばらまくだけです。
世の中の悪は、悪行為を返す事で無くなりません。
悪に対して罰を与えても、処刑しても、死後永遠に地獄に落ちるぞと脅しても、人は悪行為を止めないのです。
「あの人は盗人である。盗む事は悪行為です。私達はその人の家に入って持っている物を盗んで、本人も痛い目にあわせれば、本人は盗む事がいかに悪いか理解するでしょう」
と思って、盗みに対して盗みを働いても、盗みは消えません。
盗人は皆、人の物を盗むのだから、私の盗む行為は決して悪くないと思うだけです。

釈尊の教えは、
世の中の悪行為に対して、自分達が善行為をするならば、悪に勝てると説くのです。

盗む気持ちでいる人に対しても、優しい心で必要な物を与えたり、自分に出来る事をしてあげたりすると、相手の盗む気持ちも消えてしまうのです。
人を心配する気持ち、慈しむ気持ちを理解するのです。

善行為によってのみ、悪に勝てるのです。

それは、世の中の悪に対しても、自分の心に潜んでいる悪に対しても、事実なのです。
仏陀が比丘達にこの様に告げるのです。
「世は嘘をつくが、我等は嘘をつかない様にと努め励みましょう。
 世は、殺生するが、我等は殺生しない様にと努め励みましょう。」
如何なる悪に対しても、仏陀の教えはこの様な物です。
(中部経典第8参照)

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