2013年3月14日木曜日

捨:所感-仏教は、心の揺れを捨てる事から始まる。

仏教を実践して理解して、発見した事。

仏道とは、
今のこの瞬間瞬間、心と体を観察して、心の揺れを捨(upekkhā)て、ありのままを観察して、智慧を発見する事。

24時間、深く穏やかな呼吸の出入りを、鼻孔と懐で観察(ānāpānasati sutta)して、心を整え
今、この瞬間瞬間、心と体を観察し、
心が感情で揺れた瞬間に、心の揺れを捨てて、本能や感情に支配されず、
有りの儘を、静かに観察して、道理に基づいて、冷静に思考し、
冷静に判断して、発見した瞬間に、智慧が現れる。

心の揺れを捨てた、その瞬間、苦の滅尽に触れ、苦の滅尽の味見(小さな経験)をしています。

心の揺れが、煩悩(貪瞋癡)。
心が揺れたら、煩悩が現れた状態。
その揺れを捨てる。

仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事、から始まる。
執着を捨てるとは、心の揺れを捨てる事、から始まる。

・心の揺れが煩悩(貪瞋癡)
・戒定慧の土台は、心の揺れを捨てる事。
・八正道(中道)とは、心の揺れを捨てる事。
・慈悲の土台は、心の揺れを捨てる事。
・冥想とは、心の揺れを捨てる事。
・Appamādaとは、瞬間瞬間、心と体を観察し、心の揺れを捨てる事。
・少欲知足とは、心の揺れを捨てる事。
・執着しない。とは、心の揺れを捨てる事から始まる。

心の揺れを捨てるとは、捨-Upekkhā。

戒定慧の土台は、捨-Upekkhā。
戒定慧の土台は心の揺れを捨てる。事だと思います。
心の揺れを捨てると、戒を守ります。
心の揺れを捨てて、禅定に達します。
智慧は心の揺れを捨てる事で、発見します。
捨upekkhā(心の揺れを捨てる)が育つと、智慧が育つは、ほぼ同じ事です。

心の揺れを捨てる事で、慈悲の心が育つ。と思います。
慈悲とは、四無量心の「慈悲喜捨」の事です 
→慈悲(慈悲喜捨)の土台は捨です 
→捨とは心の揺れを捨てる。と言う事です 
→一切の生命に対して、見た瞬間に心の揺れを捨てると、
  老婆を見ても、若い女性を見ても、蚊に刺されても、
  心の揺れを捨てるので、感情が揺れず、平等に見えます。
→一切の生命は平等であると発見した瞬間、生命の海の中に自分が融けます
→即ち無我です
その捨があれば、自然に慈悲喜が育ちます。
慈悲喜の行為をした時に、心が揺れていれば、それは煩悩であり、本当の慈悲ではありません。

少欲知足も、心の揺れを捨てる事。だと思います。

仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事から始まる。
執着しない。とは、心の揺れを捨てる事から始まる。

心の揺れを捨てる事。を土台に仏教の勉強をすると、良く理解できました。(つもり)
所感です。

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