捨-Upekkhā

(心を育てるキーワード集 →CATU-APPAMAÑÑā-CITTA: 慈悲 (四無量心))
http://www.j-theravada.net/pali/key-catu-appamanna-citta.html

upekkhā(ウペッカー) 捨
差別のない広々した平等な心でいる優しさ

捨 upekkhā 「平等心」です。

Upa という接頭語には、
落ち着いて、包括的に」という意味があり、
それに ikkhati
見る、観察する」が合わさった動詞
upekkhati の名詞形がupekkhā で、
落ち着いて客観的に観察すること」というような意味になります。
一方的に偏らず、偏見がない心です。

その意味を見てもわかるように、
upekkhā と智慧はかなり近いのです。
upekkhā が育つ」と「智慧が育つ」は同義語と言っていいほどです。

智慧を育てるためには、
見たもの、聞いたものにとらわれず、固定概念を捨てることが必要です。
upekkhā の「捨」という訳を見ると、一見「?」と思うのですが、「取らない、執着しない」というところからきていると思えば理解できます。

http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/upekkha.html

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(“悟りたい”人が悟れない理由)より
http://gotami.j-theravada.net/2006/07/dhammacast-21.html



「悟りたい」は、執着。
「幸福に成りたい」も、執着。
「苦しみを無くしたい」は、無執着。

仏教は、『執着を捨てる』ことを教えます。

冥想は、捨てる訓練。
仏教の冥想法は、「捨てる訓練」なのです。


http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/blog-post_16.html

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(「震災と祈り」サンガジャパンVol. 6 「落ち着き」だけが「自分のもの」になる)

≪抜粋≫
仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。

・長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
・お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。

・仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
強力な意欲が必要です。  「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。

http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/blog-post_09.html

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アーチャン・チャー長老 (法話:4つの聖なる真理)

出村佳子さんのHPより
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html

≪抜粋≫
真理は、私たちの身体と心にあります。
身体と心を観察することが、冥想の本質なのです。
身体と心を観察するとき、智慧が現われるでしょう。
智慧があれば、何を見ても真理が見えます。

「捨てる」為に実践しているのであって、
 何かを得る為に実践しているのではありません。
苦の真理を理解した時、私達は、苦を捨てます。

これが「滅」の状態です。

これがお釈迦様の究極の教え、つまり解脱です。
お釈迦様の教えは、すべてを捨てたところ(解脱)で修了するのです。

http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/blog-post.html#more

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アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方 P104)

心に生ずるものは何であれ、手放す様にして下さい。
賞賛や見返りを期待してはいけません。

もし、少しだけ手放すのなら、
貴方は、少しだけ平安を得るでしょう。

もし、多くの物を手放すのなら、
貴方は、多くの平安を得るでしょう。

もし、あらゆる物を手放すのなら、
貴方は、完全な平安と自由を知るでしょう。

その時、
この世界に於ける貴方の戦いは、終わりを告げる事になるのです。

http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/blog-post_1777.html

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(CD: インドゥリア バーワナー(六根の冥想)
ヴィパッサナー冥想の極意)より

捨-Upekkhāとは、
・心の波を立てないで平安に保つ。
・心を冷静な状態で保つ。


454
Etaṃ santaṃ etaṃ paṇītaṃ yadidaṃ — upekkhā’ti.
これが、安穏である、これが、勝れている、それは、何でしょうか?
捨-Upekkhāである。


花を見たら、パッと気持ちよくなる。
が、直ぐに、これは造られた物で、あまり品のある物ではない。

一瞬で、サッと、気持ちを捨に持っていく。

興奮しないで落ち着いて平安で居るぞ。
と言うのが、修行であり、冥想であります。
心地良さが生まれても、捨を実践すると、安穏な気持ちになる。

それが、冥想と言う事。

花を見た瞬間は、心地よくなる。
それは、因果法則なので仕方がない。
しかし、次の瞬間で、その感情を消す。

これが、捨の実践。

見る度(六根)に、捨の訓練をする。
これが完璧な道である。
他に方法は、無い。

http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/blog-post_13.html

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