(CD: インドゥリヤ バーワナー(六根の冥想)
ヴィパッサナー冥想の極意)より
中部経典 インドゥリヤ バーワナー スッタ (第152 感官修習経)
Majjhimanikāya 5.10 Indriya bhāvanā sutta
454
Etaṃ santaṃ etaṃ paṇītaṃ yadidaṃ — upekkhā’ti.
これが、安穏である、これが、勝れている、それは、何でしょうか?
捨-Upekkhāである。
心地良さが生まれても、捨を実践すると、安穏な気持ちになる。
それが、冥想と言う事。
捨-Upekkhāとは、
・心の波を立てないで平安に保つ。
・心を冷静な状態で保つ。
花を見たら、パッと気持ちよくなる。
が、直ぐに、これは造られた物で、あまり品のある物ではない。
一瞬で、サッと、気持ちを捨に持っていく。
興奮しないで落ち着いて平安で居るぞ。
と言うのが、修行であり、冥想であります。
バラモンの様に、「見るな」では無い。
肉体には、見るな。とは、束縛は出来ない。
心地よくなったり、心地悪くなったり、どちらでも無かったりする。
それは、因縁に縁って生まれた、造られた、合成された物であり、品の良い物ではない。
自然に心の中に生まれる物は、品の良い物ではない。
しかし、平安の気持ちは、自然に生まれる物ではない、
自分の精進で造らなくてはならない。だから、品がある。
その瞬間で、自分が心の中で平安を造る。
平安を造ったら、心は自由である。
花を見ても、花にやられていない。
花に自分の心を操られていない。
花を見た瞬間は、心地よくなる。
それは、因果法則なので仕方がない。
しかし、次の瞬間で、その感情を消す。
これが、捨の実践。
見る度(六根)に、捨の訓練をする。
これが完璧な道である。
他に方法は、無い。
瞬間に生まれた、心地よさ、心地悪さ、普通の気持ちを消して、平安という気持ちが心に着く。
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