アーチャン・チャー長老
(書籍: 手放す生き方 P26)
仏教の伝統的な教えでは、八正道は、
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八種から成ります。
しかし、真の八正道は、
二つの目、二つの耳、二つの鼻孔、一つの舌、一つの身体という、私達自信の中にある物です。
これらの八つの門は、
私達の実践の全てであり、実践の道を歩む際の精神を表す物です。
これらの八つの門を
良く観察し、検討してみて下さい。
そうすれば、全てのダルマがそこに顕現する事でしょう。
この実践の核となる部分は、とてもシンプルな物です。
冗長な説明はありません。
欲や怒りへの執着を捨て、
只、あるがままであれば良いのです。
それが実践の全てです。
冗長な説明はありません。
欲や怒りへの執着を捨て、
只、あるがままであれば良いのです。
それが実践の全てです。
何かになとうとしてはいけません。
自分自身を何かに変えようとしてはいけません。
冥想者に成ってはいけません。
悟りを開いた人に成ろうとしてもいけません。
貴方が冥想をする時は、
あるがままにいて下さい。
貴方が歩く時も、あるがままにいて下さい。
何にも執着せず、何にも抵抗しないで下さい。
もちろん、実際には、サマーディを養うための数十種に及ぶ冥想のテクニックや、数多くの種類のヴィパッサナー冥想があります。
しかし、それらはいずれも
「全て、あるがままにいる」というこの原則へと戻ってくるのです。
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