2012年2月27日月曜日

仏教の真髄を掘り出す道具

仏教の「信」は、手を合わせてお願いをする信仰では無く、ブッダの法を理解、納得、実践して確信する。です。

豪華絢爛に装飾された仏教の扉を開け、奥に光り輝くブッダの真髄を取り出す道具(方法)を紹介します。

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プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html

タンマを信奉する時、自由であって下さい。その為に、仏教の中のダイヤモンドと、ダイヤモンドを掘り出す道具の両方を差し上げます。これから差し上げる物を、仏教の中のダイヤモンドと言います。つまり、タンマを受け入れ信奉する上での最高の自由です。

「カーラーマ経(kālāmā sutta)」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。
それは最高の自由であり、最高に民主的です。
内容は、カーラーマの人々が、「どう受け入れたら良いのか分から無いほど、色んな教義を教える人がいるので、どうしたら良いでしょう」と質問した事に対し、ブッダが、カーラーマ経の十項目と呼ばれている物で答えた物です
初めの三項目は聞いたこと、或いは勉強した事に関してです。
1.長く言い伝えて来たからといって信じてはいけ無い。
2.長く伝承されてきたからといって信じてはいけ無い。
3.評判になっているからといって信じてはいけ無い。
4.経典、或いは教本の中にあるからといって信じてはいけ無い。
仏教の場合、タラバヤシの葉に書かれた教えの束を教典と言います。仏教の初期にはまだ教えを書き留める事さえなく、数百年物間、記憶と口伝によって継承されて来て、その後文字で記され、経典として編纂されました。それまではただ「法」「律」と呼び、耳で聞いて暗唱し、記憶しておくだけでした。経典については第四項だけです。
つぎの四項は考え、或いは考える時の理由に関してです。

5.現在 logic と呼ぶ論理的方法で考えて、信じてはいけ無い。
誰かの教えが論理的に正しくても、その理論自体が誤りであったり、理論の用い方が誤っている事もあるので、直ぐには信じてはいけ無い。

6.意味的に理論に合っているからといって信じてはいけ無い。
ブッダの時代に「意味」と呼んだのは、今西洋で言う Philosophy、私達のタイ語では哲学と言います。呼び方が違います。哲学は Philosophy ではありません。
Philosophy は一つの見方であり、まだ哲学ではありません。しかしその様に呼ばれているので、Philosophy の様な考え方を、実践する教えとして信じる道具にし無いで下さい、と言う事です。

7.状況によって信じてはいけ無い。
つまり、常識と呼ばれる気軽に考える習慣に従って信じてはいけ無い。現在人は好んで常識と言う言葉を使いますが、仏教では、ブッダがこの項目で禁じているので、使う事はできません。

8.自分の見解に耐えられるからといって信じてはいけ無い。
自分に何らかの見解がある場合、相手が自分の見解に合う様な説得をして来ても、直ぐには信じてはいけ無い。何故なら自分の見解が間違っている事もあるから。
残りの二項は話し手、或いはその教義を説く人に関してです。

9.話す人が信頼できそうだからといって信じてはいけ無い。
この項目は、話す人の言葉や態度が信頼できそうだと言う意味です。

10.話しているサマナ(出家)が自分の先生でも信じてはいけ無い。

これを良く理解して、いま挙げた十の理由で、簡単に信じてしまわ無い様にして下さい。しかしここで申し上げたいのは、ブッダは、先に挙げた十種類の物に関わるなと禁じてはいません。十分熟慮する資料として、話を聞いてもいいし、噂を聞いてもいいのです。
しかし直ぐには信じ無いで、それで苦を無くす事が出来るかどうか熟慮して、もし苦しみが無くなりそうなら、取りあえず実践してみて、真実である事が証明されてから、それから信じなさいと教えています

Kesamuttisutta
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Etha tumhe, kālāmā, mā anussavena, mā paramparāya, mā itikirāya, mā piṭakasampadānena, mā takkahetu, mā nayahetu, mā ākāraparivitakkena, mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā, mā bhabbarūpatāya, mā samaṇo no garūti. Yadā tumhe, kālāmā, attanāva jāneyyātha— ‘ime dhammā akusalā, ime dhammā sāvajjā, ime dhammā viññugarahitā, ime dhammā samattā samādinnā ahitāya dukkhāya saṃvattantī’ti, atha tumhe, kālāmā, pajaheyyātha.

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