· 真理とは、四聖諦(苦集滅道)
苦諦:生きる事は苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(八正道)
· 真理とは、苦、無常、無我
(書籍;調査中)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
(書籍:サンガジャパンVol. 6「震災と祈り」
「落ち着き」だけが「自分のもの」になる P170-176)
・仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
・仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
・仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。
・長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
・お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。
・仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
・強力な意欲が必要です。 「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
アーチャン・チャー長老 (法話:4つの聖なる真理)
出村佳子さんのHPより
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html
≪抜粋≫
・真理は、私たちの身体と心にあります。
・身体と心を観察することが、冥想の本質なのです。
・身体と心を観察するとき、智慧が現われるでしょう。
・智慧があれば、何を見ても真理が見えます。
・「捨てる」為に実践しているのであって、何かを得る為に実践しているのではありません。
・苦の真理を理解した時、私達は、苦を捨てます。
・これが「滅」の状態です。
・これがお釈迦様の究極の教え、つまり解脱です。
・お釈迦様の教えは、すべてを捨てたところ(解脱)で修了するのです。
≪原文≫
真理を知りたいとき、どこを見ればいいのでしょうか?
身体と心を見るのです。
本棚の本を見るのではありません。
真理を本当に見たければ、自分自身の身体と心を見つめなければならないのです。
身体と心、この二つだけです。
心は肉眼で見えませんから、「心の眼」で見なければなりません。
真理を悟るには、まずどこを見るべきかということを知る必要があるのです。
身体の真理を知るには、身体を見なければなりません。
では、どうやって身体を観察するのでしょうか?
心で観察するのです。
身体と心以外どこを見ても真理は見えないでしょう。
なぜなら幸せも苦しみもまさに身体と心で生じるのだから。
幸せが木から生じたのを見たことがあるでしょうか?
川から生じたり、天気から生じたりしたのを見たことがあるでしょうか?
幸せも苦しみも、自分自身の身体と心から生じる感覚なのです。
したがって、お釈迦様は、自分の身体と心を理解するようにと教えられました。
真理は自分自身の身体と心にあり、まさにここを観察しなければなりません。
皆さんの先生は本を読みなさいと言うかもしれません。
本の中に真理があると思うなら、真理は決して理解できないでしょう。
本を読むときは、本の内容を自分の心で観察しなければなりません。
そうすれば、真理が理解できるでしょう。
真理はどこにあるのでしょうか?
真理は、私たちの身体と心にあります。
身体と心を観察することが、冥想の本質なのです。
身体と心を観察するとき、智慧が現われるでしょう。
智慧があれば、何を見ても真理が見えます。
常に無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anatta) が見えるのです。
Anicca は無常ということです。
Dukkha は苦のことで、ものごとは無常であるのに、その無常なるものに執着すると、苦が生じます。
なぜなら
ものごとはanatta ――「私」のものではありませんし、「私」ではないからです。
しかし、私たちは
この無常・苦・無我を見ていませんし、いつでも「私」とか「私のもの」と見ているのです。
中略
今日私は、「苦しみ」と「苦しみの原因」と「苦しみの滅」と「苦しみを滅する道」をどう理解するか、ということについて話しています。
苦しみを知ったなら、苦しみを捨てるべきです。
苦しみの原因を知って、苦しみを滅するべきなのです。
苦しみを滅するために、実践してください。
無常・苦・無我を理解することで、苦しみは滅するでしょう。
苦しみが滅したら、どうなるのでしょうか?
私達は、何の為に実践しているのでしょうか?
「捨てる」ために実践しているのであって、何かを得るために実践しているのではありません。
今日の午後、ある女性が「自分は苦しいです」と私に言いました。
私は彼女に「あなたはどうしたいんですか」と聞いたところ、彼女は「悟りを得たい」と言いました。
私は、こう言いました。「悟りを得たいと思っているかぎり、けっして悟ることはできませんよ。何も得ようとしないでください」
苦の真理を理解したとき、
私たちは苦を捨てます。
苦の原因を理解したとき、
苦の原因をつくることはもうしませんし、代わりに苦を滅する道を実践するでしょう。
苦を滅する道を実践する
ということは、
「これは私ではない」「私のものでも、他のものでもない」と観察することです。
このように観察することで、苦は滅するでしょう。
これは、ゴールに到達して終わるようなものです。
これが「滅」の状態です。
言い換えますと、
進むことも苦ですし、後退することも苦ですし、止まることも苦です。
進まず、後退もせず、止まることもない……何か残っているでしょうか?
身体と心の苦は、この時点で終わるのです。
これが苦の滅です。
理解するのはむずかしいですね。
この教えを常に真剣に観察するなら、現象を乗り越えて悟りに到達し、「滅」という状態になるでしょう。
これがお釈迦様の究極の教え、つまり解脱です。
お釈迦様の教えは、すべてを捨てたところ(解脱)で修了するのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。