2012年1月31日火曜日

仏教とは

仏教とは、苦を乗り越える事である。
(書籍:これでもう苦しまない より) 

仏道とは

・仏道とは、八正道の事です。

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・Appamādaは、三蔵経を包み込む程大きく、仏道そのものです。
(ダンマパダ21偈)

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・Papañca(ねつ造)とNipapañca(幻覚を破る)の一対で仏道の全てを語っている。
(施本:偉大なる人の思考-P112)

2012年1月30日月曜日

無明とは。

(長老の語録より、文献名調査中)

四聖諦についての無智が無明
無明とは、
・苦についての無智
・苦の生起についての無智
・苦の滅尽についての無智
・苦の滅尽に至る道の無智
これを称して無明と言う。
即ち四聖諦についての無智が無明。

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(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より

無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、

難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。

捨。中道とは、揺らがない心。「捨」

(根本仏教講義→8.苦集滅道 (2)仏陀の苦行から悟りまで)
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi39.html

中道の出発点は、何物にも囚われない心です。

2012年1月29日日曜日

仏教の最大の祝福とは、戒めです

仏教の最大の祝福は、戒めです。
(2012.1.8 新年祝福法要inマーヤーデーヴィー)

2012年1月28日土曜日

悟り と 解脱 の違い

・解脱 vimutti(ヴィムッティ)…脱する
・悟り bodhi(ボーディ)…目覚める

2012年1月27日金曜日

Appamādo amatapadaṃ

旧ブログのタイトルの意味は、「不放逸は不死の道なり」で、パーリ経典 ダンマパダ 21偈からもらいました。
Appamādo  Appamāda は、仏教徒にとっては大変重要な言葉で、不放逸という意味も含まれ、三蔵経がすっぽり入ってしまい仏道そのものです。

2012年1月26日木曜日

究極の真理

解脱さえも無常である。 と言う事が、究極の真理。

2012年1月25日水曜日

仏教の最後の目的

(長老の語録より、文献名調査中)

仏教の最後の目的は「悟り」の「智慧」を得る事にあります。

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(長老の語録より、文献名調査中)

無常の智慧を発見したら悟る。

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(四無量心の世界より)

冥想して、禅定して、「禅定さえも無常である」、と発見(智慧)したら悟る。

2012年1月24日火曜日

慈悲は仏教の土台

・慈悲は、仏教の土台です。
・慈悲で「心」を育てなければ、幾ら「真理」を理解しても、「智慧」を発見できず、「仏教」を理解できない。
慈悲の心は、道徳であり、即ち五戒が完成する。五戒とは戒律の事。

戒律は仏教の土台であり、その上に禅定(集中力)が生まれ、智慧を発見する。
戒律を守らないと、正しい禅定が生まれず、真理を理解しても、悟りの智慧は発見出来ない。

2012年1月23日月曜日

仏教の2大要素は、慈悲と真理

慈悲、智慧の説明としては、全く足りません、今後、更新していきます。

■仏教の2大要素
1.慈悲の心を育てる。
2.真理の発見。

■慈悲とは
慈悲喜捨(四無量心)の事
1) 慈:Mettā(メッター) 友情のような優しさ 
2) 悲:Karunā(カルナー) 他者の苦しみをなくしてあげたいという優しさ 
3) 喜:Muditā(ムディター) 他者の幸福を共に喜ぶ優しさ 
4) 捨:Upekkhā(ウペッカー) 差別のない広々した平等な心でいる優しさ 

≪生き方≫
慈悲とは、人がどの様に生きれば良いか?
という質問に対する お釈迦様 の答えです。

≪エゴを消す≫
慈悲の冥想をする度にエゴが消えていく。

≪仏教の土台≫
慈悲は、仏教の土台であり、
慈悲が育っていないと、言葉で真理を理解しても、
正しい禅定が作れず、悟りの智慧が生まれません。

≪心と身体を清める唯一の方法≫
「この体で犯した罪は、この世で償って、あの世には
持って行きません」と、思うならば、
(mettā cetovimutti)「慈悲心解脱」を実践するのです。
※心解脱(慈悲)、慧解脱(ヴィパッサナー)

≪罪からの解放≫
罪を悔い改め、心清らかにしたければ慈悲の瞑想しかない。
慈悲の瞑想をすれば恩赦になる。【異熟】

≪悟る≫
慈悲でエゴが消えたら不還果の「悟り」です。
この世で、完全に解脱に達することができなかった場合でも、
二度と、この世に戻れない境地である、不還果に生まれるのです。 

■真理とは
・真理とは、四聖諦
・真理とは、苦、無常、無我
・心と身体に真理がある。

2012年1月22日日曜日

捨:仏教は、信仰を捨て、法を理解して実践して確信する。

仏陀は、只、言われたことを無条件に信じると言う「信仰」を否定しております。
仏陀は、私に手を合わせて拝むな。自ら法を実践しなさい。と言われています。
仏陀は、信仰を捨て、理性でもって、確り、自分で確かめて、確信しなさい。と言われています。
それが、仏教の「信」です。 仏陀は、「信仰」を捨てなさい。と説いています。

2012年1月21日土曜日

仏教を学ぶ上で注意する事

・理性で、説法の内容を分析する事。
(明晰に理解していないのに、他人の話を、すぐに信じてしまうことは愚かである)
・自分が実践していない事を、他人に説いてはいけない。
・物知り屋だと他人に褒めて貰いたくて学んではいけない。
・只の知識欲に刺激を与える為に学んではいけない。

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プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html

「カーラーマ経」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。
(1)長く言い伝えて来たからといって信じてはいけ無い。
(2)長く伝承されてきたからといって信じてはいけ無い。
(3)評判になっているからといって信じてはいけ無い。
(4)教本の中にあるからといって信じてはいけ無い。
(5)誰かの教えが論理的に正しくても、その理論自体が誤りであったり、理論の用い方が誤っている事もあるので、直ぐには信じてはいけ無い。
(6)意味的に理論に合っているからといって信じてはいけ無い。
(7)常識と呼ばれる気軽に考える習慣に従って信じてはいけ無い。
(8)自分の見解に耐えられるからといって信じてはいけ無い。
(9)話す人の言葉や態度が信頼できそうだからといって信じてはいけ無い。
(10)話しているサマナ(出家)が自分の先生でも信じてはいけ無い。

これを良く理解して、いま挙げた十の理由で、簡単に信じてしまわ無い様にして下さい。
しかし、ここで申し上げたいのは、ブッダは、先に挙げた十種類の物に関わるなと禁じてはいません。
十分熟慮する資料として、話を聞いてもいいし、噂を聞いてもいいのです。
しかし直ぐには信じ無いで、それで
苦を無くす事が出来るかどうか熟慮して、
もし苦しみが無くなりそうなら、取りあえず実践してみて、
真実である事が証明されてから、
それから信じなさいと教えています。

2012年1月20日金曜日

スマナサーラ長老との出会い。

今まで苦労して積み重ねて来た人生を、身内に根底からひっくり返され、家族と財産を含めて全てを失った10日後の2010年1月2日に梅田の紀伊国屋書店で「怒らないこと」に出会い、人生で培った私の常識、思考が根底から間違っていた事を叩きつけられました。

私に欠落していた物は、慈しみと理性です。

お釈迦様に、生命としての道を照らして頂きました。
無明を引きずりながら前に進んで、生命として精進して参ります。

この本に出会っていなければ、今ここに、私は居ません。

- 生きとし生けるものに悟りの光が現れます様に。 -

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2011年12月11日
マーヤーデービー精舎から新大阪駅まで、長老の車に同席させて頂き、大変貴重な時間を頂きました。