2012年1月24日火曜日

慈悲は仏教の土台

・慈悲は、仏教の土台です。
・慈悲で「心」を育てなければ、幾ら「真理」を理解しても、「智慧」を発見できず、「仏教」を理解できない。
慈悲の心は、道徳であり、即ち五戒が完成する。五戒とは戒律の事。

戒律は仏教の土台であり、その上に禅定(集中力)が生まれ、智慧を発見する。
戒律を守らないと、正しい禅定が生まれず、真理を理解しても、悟りの智慧は発見出来ない。

戒定慧(三学)
戒は、五戒の事。 仏教の土台。
定は、禅定の事。 仏教の骨組み。 集中力が高まった状態である。
慧は、智慧の事。 智慧は禅定して発見する物。

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■HPの「慈悲の冥想」の説明で長老が以下の話をされておられます。
仏教を実践する上で、土台となる心を育てる
全ての仏道修行において基礎になるもの
「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは、 大変必要な条件になります。
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

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■HPの「法の宝【1】<丸太のたとえ-1> ウィセッタ長老」より
戒律(sîra) は道徳であり、根本的な、いわば土台です。集中力、禅(samâdhi)は戒律の土台の上に建てられるものです。智慧(paññâ)、すなわち洞察と悟りは、正しく集中に励むことによって生まれるものです。この「戒律」「集中」「智慧」によってなるこの八正道を成長させる
http://www.j-theravada.net/dhamma/hou-no-takara1.html

≪所感≫
戒律とは五戒の事であり、道徳の事ですので、長老が四無量心の法話の中で言われていた、慈悲は道徳であり即ち五戒が完成する。です。
また、三学は仏教そのものと理解しております。

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■長老の語録より、文献名調査中
「慈悲」で「心」を育てなければ、幾ら「真理」を理解しても、「智慧」を発見できず、「仏教」を理解できない。

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