2012年1月30日月曜日

無明とは。

(長老の語録より、文献名調査中)

四聖諦についての無智が無明
無明とは、
・苦についての無智
・苦の生起についての無智
・苦の滅尽についての無智
・苦の滅尽に至る道の無智
これを称して無明と言う。
即ち四聖諦についての無智が無明。

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(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より

無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、

難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。

私達は瞬時にデータをねつ造する。
生きる事とは、動く事。 何故、動くかと言うと、感覚があるから、その感覚は苦で出来ている。 
苦が無いと生きていけない。
身体は、物凄く脆(もろ)い。 世の中でこれ程脆(もろ)い物はない。 それでも生きているでしょう。
苦があるから生きていられる。 苦しいからとにかく気をつける。
これが、バカバカらしいでしょう。 生きる事に何の価値も無いでしょう。 生きるとは苦一本でしょう。
なのに大事な物、尊い物、他を殺してでも守る物と思っている。 その上、永遠に天国があると思っている。
他の仏教では、阿羅漢(解脱)でも無い人達が極楽道を作ったり。 生きるべきである。 死ぬ事を認めたくない。 死んだら成仏して天国で永遠に生きる。 と説いているが、これも無明。

因果法則を解らない事も無明。

無明が無い生命はいない。
生命であるといった時点で、無明であると決まっている。
生命とは、生きる事は苦だから何にも執着する必要は無いと解った時点で、修行に入ると直ぐに悟る。

修行で、なかなか悟りに達しないという事は、無明を正当化している。

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(アーチャン・チャー長老: 法話:四つの聖なる真理: 出村佳子さんのHPより)
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html


無常を知らない事。
「物事が永遠であって欲しい」と考える事が無明であり、この無明をお釈迦様が発見され、教えられたのです。

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無明を捨て去る方法
無明を捨て去る方法は、苦の滅尽に至る道である八正道。
(長老の語録より、文献名調査中)

 → 無明を捨てる方法は、後日のブログで作成。

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(「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)→【71】 生きることは大変か/無明とは)
http://www.j-theravada.net/qa/gimon71.html

無明というのは、ものすごく巨大な暗黒状態、暗闇と考えるとよいでしょう。

その巨大な暗闇に、生命が覆われているということです。暗闇のなかにいると何も見えませんね。ですから我々は、何でも手探りで触って、何とか理解しなければなりません。
智恵という光があれば見えるのですが、人間にあるのは『知識』だけなのです。

知識というのは、ひとつのものについて、様々な意見が出てくるようなことです。
病気になったらどうすればいいのか、ガンになったら何を食べればいい、あれを食べればよい、これを食べればよいと、ありとあらゆることを言いますが、どれも完全じゃないんですね。答えは出ないのです。

知識というのは、暗闇のなかでものを触ってみる状態、そしてそれを無明というのです。もしすべてのものに答えが見つかったら、そこには無明はないのです。

生きている間に生まれてくる問題に答えを持つ人はいない。
それが無明だと理解していただければよいと思います。
無明というのは、我々がふつうに生きている世界のことです。

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