2012年3月31日土曜日

第一回 摂津勉強会

本日から、大阪府の摂津で勉強会が始まりました。
(高槻市立総合市民交流センター 3F)

勉強会で、私が頂いた実りです。

(1)捨てる。と、手放す。
(2)この瞬間を意識する。
私は、正月のアラナの宿泊冥想会に参加で、溢れる程の実りを
頂きました。

その後、
「24時間、心と身体の観察して、心が揺れた瞬間に捨てる。
この呼吸を吐き終わるまでに死ぬかも知れない。」
(※絶えず、死を意識する事も、Appamādaです。:プッタタート比丘)
という、訓練をしており、
今、この瞬間瞬間の苦しみからの解放を実感しております。

また、美しい、楽しいと感じて、心は揺れても、
終了宣言をして、対象に執着しない訓練もしております。

「手放すとは、エネルギーを解放する。」
との話を頂き、また一つ苦の滅尽の理解が深まりました。
(捨てる。と、手放す。は同じ事と、理解しています。)

私が、心が揺れた瞬間に捨てていたのは、エネルギーである事。
また、エネルギーを手放す事をイメージする事でも
瞬間瞬間の苦の滅尽になる事を理解しました。

更に、「意識する(瞬間瞬間)という言葉を使う」と
再認識の機会を頂き、より観察が深まりました。

ですから、今は、
24時間、
"この瞬間を意識して"心と身体を観察し、
心が揺れた瞬間に”エネルギーを開放(または手放)して”捨てる。
この呼吸を吐き終わるまでに死ぬかも知れない。
と、訓練をしております。

お陰様で、更に、今、この瞬間の苦しみからの解放を実感しております。

(3)幸せとは、この瞬間、苦しまない。
今、この瞬間の心の揺れを捨てて来ましたが、
幸せとは、この瞬間、苦しまない。
との言葉を聞いて、
私の日々の訓練が正しかった事の答え合わせが出来て
良かったです。

(4)無我とは、命の壁が無くなること
アラナの冥想会で実践した中で、経験した事が、
無我に触れた事である事も、解りました。
・生きとし生けるものの中に、私が入ってしまった。
・他の生命の命と私の命の境が無くなった。
・他の生命の苦しみと私の心の境が無くなった。

また、今回の勉強会では、偶然が重なりました。
・私の誕生日
・勉強会第一回目
・高槻駅近辺は、離れて暮らす娘との大阪で唯一の思い出の場所であり、
今、娘が暮らしている場所

摂津にブッダの教えを益々広げていき、
将来、娘が慈しみと理性を学ぶ場所になることを願っています。

生きとし生けるものに悟りの光が現れます様に。
捨(Upekkhā:意:冷静に観察する事

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