仏教徒として、最も重要な事は、理性です。
(慈悲は、理性の能力の一つだと、理解しております。)
たとえ、相手がお釈迦様やスマナサーラ長老の教えであっても、客観的に観察をする必要があります。
軽視や疑いではありません。
理性をもって対話をするのです。
仏教で信は、手を合わせて有難がる「信仰」ではなく、
理解して、実践して、発見する「確信」です。
kālāmā suttaでお釈迦様は、私の話も、客観的に観察しなさい。
と説いておられます。
これが、仏教が真理の教えである事の証。だと。
私は、思います。
2013年11月27日水曜日
2013年3月14日木曜日
捨:所感-仏教は、心の揺れを捨てる事から始まる。
仏教を実践して理解して、発見した事。
仏道とは、
今のこの瞬間瞬間、心と体を観察して、心の揺れを捨(upekkhā)て、ありのままを観察して、智慧を発見する事。
仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事、から始まる。
執着を捨てるとは、心の揺れを捨てる事、から始まる。
仏道とは、
今のこの瞬間瞬間、心と体を観察して、心の揺れを捨(upekkhā)て、ありのままを観察して、智慧を発見する事。
24時間、深く穏やかな呼吸の出入りを、鼻孔と懐で観察(ānāpānasati sutta)して、心を整え
今、この瞬間瞬間、心と体を観察し、
心が感情で揺れた瞬間に、心の揺れを捨てて、本能や感情に支配されず、
心が感情で揺れた瞬間に、心の揺れを捨てて、本能や感情に支配されず、
有りの儘を、静かに観察して、道理に基づいて、冷静に思考し、
冷静に判断して、発見した瞬間に、智慧が現れる。
心の揺れを捨てた、その瞬間、苦の滅尽に触れ、苦の滅尽の味見(小さな経験)をしています。
心の揺れが、煩悩(貪瞋癡)。心の揺れを捨てた、その瞬間、苦の滅尽に触れ、苦の滅尽の味見(小さな経験)をしています。
心が揺れたら、煩悩が現れた状態。
その揺れを捨てる。
仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事、から始まる。
執着を捨てるとは、心の揺れを捨てる事、から始まる。
2012年2月29日水曜日
仏教の精髄
プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
仏教の精髄とは何でしょうか。
それは、
サッペー タンマー ナーラン アピニヴェサーヤ
Sabbe dhammā nālaṃ abhinivesāyā
何物も、私、私のものと執着するべきではない
というブッダの言葉です。
これが三蔵の中のたった一粒のダイヤモンドです。
それが拡大されていろんな形になりました。
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
仏教の精髄とは何でしょうか。
それは、
サッペー タンマー ナーラン アピニヴェサーヤ
Sabbe dhammā nālaṃ abhinivesāyā
何物も、私、私のものと執着するべきではない
というブッダの言葉です。
これが三蔵の中のたった一粒のダイヤモンドです。
それが拡大されていろんな形になりました。
2012年2月22日水曜日
捨:生かされている。とは
(私感です。)
「生かされている」とは、
見えない何かの力に、生かされているのでは無く。
目の前の事(この状態)に最善を尽くす。と言う事です。
今、この瞬間、この与えられたこの状態、この目の前の状況に、不満、怒りを捨て、理性と慈しみで、確り最善を尽くして行動する事です。
与えられた状態、身体(不自由でも)、仕事(理不尽な処遇でも)、人間関係(いじめられても、嫌いでも)、家(荒ら屋でも)、食事(粗食でも)、勉強(苦手でも)、家庭(歪んでいても)、排便さえも、睡眠にも最善を尽くして行動す事です。
目の前の状況の、不満、怒り、悲しみ、絶望さえも捨て、心を穏やかにし、理性と慈しみを持って、与えられたこの中で最善を尽くして行動する。
「生かされている」とは、そういう事だと思います。
目の前の事、この状態に最善を尽くす。と言う事です。
「生かされている」とは、
見えない何かの力に、生かされているのでは無く。
目の前の事(この状態)に最善を尽くす。と言う事です。
今、この瞬間、この与えられたこの状態、この目の前の状況に、不満、怒りを捨て、理性と慈しみで、確り最善を尽くして行動する事です。
与えられた状態、身体(不自由でも)、仕事(理不尽な処遇でも)、人間関係(いじめられても、嫌いでも)、家(荒ら屋でも)、食事(粗食でも)、勉強(苦手でも)、家庭(歪んでいても)、排便さえも、睡眠にも最善を尽くして行動す事です。
目の前の状況の、不満、怒り、悲しみ、絶望さえも捨て、心を穏やかにし、理性と慈しみを持って、与えられたこの中で最善を尽くして行動する。
「生かされている」とは、そういう事だと思います。
目の前の事、この状態に最善を尽くす。と言う事です。
2012年2月10日金曜日
お釈迦様の最後の言葉
vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
ヴェアダンマー サンカーラー アッパマーデーナ サンパーデータ
諸々の現象(vayadhammā)は、 作られた物(saṅkhārā)、
アッパマーダ≒不放逸(appamādena)に、努めなさい(sampādethā)。
諸々の現象は作られた物 = 衰滅法 = 真理-衰え滅びる性質 = 諸行無常(sabbe saṅkhārā aniccā) = 仏教
アッパマーダ(≒不放逸、今の瞬間に気づいている状態(覚醒している状態)を維持する) = 仏道
この一行で、仏教と仏道を表しております。
仏教=諸行無常(vayadhammā saṅkhārā)
仏道=appamādaに努める(appamādena sampādethā)
・vayadhammā:衰滅法
vaya : ① 衰退、滅亡、消滅、衰滅
② 年代(青年、壮年、老年などの)、青春
dhammā : ① 法、教法、教え、真理、正義、義務
② 法に従う、教えに従う
・saṅkhārā: ① 行為、形成力、現象
・appamādena :
appamāda : ≒不放逸、覚醒、意識がはっきりしている
√mad : 酔う、混乱、狂う
pa+māda : 酔う状態、狂った状態
a(否定の意味)+(p)+ pamāda : 覚醒とか意識がはっきりしている
・sampādethā : sampādeti : 得る、完遂する、完成させる、努める
-----
さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」
と、これが修行を続けて来た者の最後の言葉であった。
ヴェアダンマー サンカーラー アッパマーデーナ サンパーデータ
諸々の現象は作られた物、アッパマーダ(≒不放逸)に努めなさい。
諸々の現象(vayadhammā)は、 作られた物(saṅkhārā)、
アッパマーダ≒不放逸(appamādena)に、努めなさい(sampādethā)。
アッパマーダ(≒不放逸、今の瞬間に気づいている状態(覚醒している状態)を維持する) = 仏道
この一行で、仏教と仏道を表しております。
仏教=諸行無常(vayadhammā saṅkhārā)
仏道=appamādaに努める(appamādena sampādethā)
・vayadhammā:衰滅法
vaya : ① 衰退、滅亡、消滅、衰滅
② 年代(青年、壮年、老年などの)、青春
dhammā : ① 法、教法、教え、真理、正義、義務
② 法に従う、教えに従う
・saṅkhārā: ① 行為、形成力、現象
・appamādena :
appamāda : ≒不放逸、覚醒、意識がはっきりしている
√mad : 酔う、混乱、狂う
pa+māda : 酔う状態、狂った状態
a(否定の意味)+(p)+ pamāda : 覚醒とか意識がはっきりしている
・sampādethā : sampādeti : 得る、完遂する、完成させる、努める
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''handa dāni, bhikkhave, āmantayāmi vo, vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā''ti. Ayaṃ tathāgatassa pacchimā vācā.
大パリニッパーナ経「ブッダ最後の旅」中村元訳 P158さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」
と、これが修行を続けて来た者の最後の言葉であった。
2012年2月2日木曜日
2012年2月1日水曜日
パパンチャ(Papañca)とは
・パパンチャ(Papañca)とは、六処(眼耳鼻舌身)から入ってきたデータを感情で捏造して、自分だけに限った世界を作るという事。
・私達は瞬時にデータをねつ造する。
(施本:偉大なる人の思考-P110)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
・無明とはPapañcaの事。
(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで)
・私達は瞬時にデータをねつ造する。
(施本:偉大なる人の思考-P110)
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・無明とはPapañcaの事。
(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで)
ラベル:
appamāda:不放逸,
nipapañca:幻覚を破る,
papañca:捏造,
upekkhā:捨,
仏道,
無明,
六処
2012年1月31日火曜日
仏道とは
・仏道とは、八正道の事です。
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・Appamādaは、三蔵経を包み込む程大きく、仏道そのものです。
(ダンマパダ21偈)
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・Papañca(ねつ造)とNipapañca(幻覚を破る)の一対で仏道の全てを語っている。
(施本:偉大なる人の思考-P112)
ラベル:
appamāda:不放逸,
indriya bhāvanā sutta,
nipapañca:幻覚を破る,
papañca:捏造,
upekkhā:捨,
viriya:精進,
インドゥリヤ バーワナー(六根の冥想),
三蔵経,
善友,
八正道,
仏道,
六処
2012年1月27日金曜日
Appamādo amatapadaṃ
旧ブログのタイトルの意味は、「不放逸は不死の道なり」で、パーリ経典 ダンマパダ 21偈からもらいました。
Appamādo → Appamāda は、仏教徒にとっては大変重要な言葉で、不放逸という意味も含まれ、三蔵経がすっぽり入ってしまい仏道そのものです。
Appamādo → Appamāda は、仏教徒にとっては大変重要な言葉で、不放逸という意味も含まれ、三蔵経がすっぽり入ってしまい仏道そのものです。
ラベル:
appamāda:不放逸,
Dhammapada,
upekkhā:捨,
viriya:精進,
三蔵経,
仏教徒,
仏道
2012年1月24日火曜日
2012年1月21日土曜日
仏教を学ぶ上で注意する事
・理性で、説法の内容を分析する事。
(明晰に理解していないのに、他人の話を、すぐに信じてしまうことは愚かである)
・自分が実践していない事を、他人に説いてはいけない。
・物知り屋だと他人に褒めて貰いたくて学んではいけない。
・只の知識欲に刺激を与える為に学んではいけない。
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プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
「カーラーマ経」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。
(1)長く言い伝えて来たからといって信じてはいけ無い。
(2)長く伝承されてきたからといって信じてはいけ無い。
(3)評判になっているからといって信じてはいけ無い。
(4)教本の中にあるからといって信じてはいけ無い。
(5)誰かの教えが論理的に正しくても、その理論自体が誤りであったり、理論の用い方が誤っている事もあるので、直ぐには信じてはいけ無い。
(6)意味的に理論に合っているからといって信じてはいけ無い。
(7)常識と呼ばれる気軽に考える習慣に従って信じてはいけ無い。
(8)自分の見解に耐えられるからといって信じてはいけ無い。
(9)話す人の言葉や態度が信頼できそうだからといって信じてはいけ無い。
(10)話しているサマナ(出家)が自分の先生でも信じてはいけ無い。
これを良く理解して、いま挙げた十の理由で、簡単に信じてしまわ無い様にして下さい。
しかし、ここで申し上げたいのは、ブッダは、先に挙げた十種類の物に関わるなと禁じてはいません。
十分熟慮する資料として、話を聞いてもいいし、噂を聞いてもいいのです。
しかし直ぐには信じ無いで、それで
苦を無くす事が出来るかどうか熟慮して、
もし苦しみが無くなりそうなら、取りあえず実践してみて、
真実である事が証明されてから、
それから信じなさいと教えています。
(明晰に理解していないのに、他人の話を、すぐに信じてしまうことは愚かである)
・自分が実践していない事を、他人に説いてはいけない。
・物知り屋だと他人に褒めて貰いたくて学んではいけない。
・只の知識欲に刺激を与える為に学んではいけない。
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プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
「カーラーマ経」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。
(1)長く言い伝えて来たからといって信じてはいけ無い。
(2)長く伝承されてきたからといって信じてはいけ無い。
(3)評判になっているからといって信じてはいけ無い。
(4)教本の中にあるからといって信じてはいけ無い。
(5)誰かの教えが論理的に正しくても、その理論自体が誤りであったり、理論の用い方が誤っている事もあるので、直ぐには信じてはいけ無い。
(6)意味的に理論に合っているからといって信じてはいけ無い。
(7)常識と呼ばれる気軽に考える習慣に従って信じてはいけ無い。
(8)自分の見解に耐えられるからといって信じてはいけ無い。
(9)話す人の言葉や態度が信頼できそうだからといって信じてはいけ無い。
(10)話しているサマナ(出家)が自分の先生でも信じてはいけ無い。
これを良く理解して、いま挙げた十の理由で、簡単に信じてしまわ無い様にして下さい。
しかし、ここで申し上げたいのは、ブッダは、先に挙げた十種類の物に関わるなと禁じてはいません。
十分熟慮する資料として、話を聞いてもいいし、噂を聞いてもいいのです。
しかし直ぐには信じ無いで、それで
苦を無くす事が出来るかどうか熟慮して、
もし苦しみが無くなりそうなら、取りあえず実践してみて、
真実である事が証明されてから、
それから信じなさいと教えています。
ラベル:
appamāda:不放逸,
kālāmā sutta:カーラーマ経,
upekkhā:捨,
viññū:理性,
中道,
仏道
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