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2012年2月22日水曜日

捨:生かされている。とは

(私感です。)

「生かされている」とは、
見えない何かの力に、生かされているのでは無く。
目の前の事(この状態)に最善を尽くす。と言う事です。

今、この瞬間、この与えられたこの状態、この目の前の状況に、不満、怒りを捨て、理性と慈しみで、確り最善を尽くして行動する事です。

与えられた状態、身体(不自由でも)、仕事(理不尽な処遇でも)、人間関係(いじめられても、嫌いでも)、家(荒ら屋でも)、食事(粗食でも)、勉強(苦手でも)、家庭(歪んでいても)、排便さえも、睡眠にも最善を尽くして行動す事です。

目の前の状況の、不満、怒り、悲しみ、絶望さえも捨て、心を穏やかにし、理性と慈しみを持って、与えられたこの中で最善を尽くして行動する。

「生かされている」とは、そういう事だと思います。
目の前の事、この状態に最善を尽くす。と言う事です。

2012年2月7日火曜日

アースマラソン

芸人の間寛平(1949年高知県生まれ)が、挑戦した人類初のアースマラソン
2008年12月17日(59才)~2011年1月21日(61才)
ヨットとマラソンで地球を2年で一周(41,000km)する過酷なレース。

そのアースマラソンの公式ページに、応援に来た息子(慎太郎さん)と一緒に走った時の日記「親子の時間Ⅱ」が載っていたので引用致します。

2012年2月4日土曜日

無我とは

生きる、ということは、
感覚を変化させることです。
感覚には苦も楽も不苦不楽もあるし、一つの感覚だけ続くことはあり得ない。

感覚は、因縁によって現れたり、消えたりするのです。

愚か者は、
「感覚が我であり、我が魂であり、永遠である」と誤解して執着して、輪廻転生して苦しむが、

理性のある人は、
感覚に対する執着を一切捨てて、解脱に達するのです。

これが釈尊の説かれた「無我」の話です。

(HP:魂は巨大妄想の産物である)
http://www.j-theravada.net/howa/howa163.html

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お釈迦様の教えには「無我」(実体はない)の冥想があります。
どんな人も「私」に執着していますから、この教えを聞いたほうがよいでしょう。
「私」に執着することから苦しみが生じます。
それゆえ、この「無我」ということを、よく観察すべきなのです。

2012年1月30日月曜日

無明とは。

(長老の語録より、文献名調査中)

四聖諦についての無智が無明
無明とは、
・苦についての無智
・苦の生起についての無智
・苦の滅尽についての無智
・苦の滅尽に至る道の無智
これを称して無明と言う。
即ち四聖諦についての無智が無明。

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(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より

無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、

難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。