私の仏教での目的は、
瞬間瞬間、心の揺れを捨て、理性で、今を生きる事です。
私が、仏教で頂いた最大の宝は、
瞬間瞬間、心の揺れを捨てる訓練、仏道です。
Vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
2013年7月15日月曜日
2013年3月14日木曜日
捨:所感-仏教は、心の揺れを捨てる事から始まる。
仏教を実践して理解して、発見した事。
仏道とは、
今のこの瞬間瞬間、心と体を観察して、心の揺れを捨(upekkhā)て、ありのままを観察して、智慧を発見する事。
仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事、から始まる。
執着を捨てるとは、心の揺れを捨てる事、から始まる。
仏道とは、
今のこの瞬間瞬間、心と体を観察して、心の揺れを捨(upekkhā)て、ありのままを観察して、智慧を発見する事。
24時間、深く穏やかな呼吸の出入りを、鼻孔と懐で観察(ānāpānasati sutta)して、心を整え
今、この瞬間瞬間、心と体を観察し、
心が感情で揺れた瞬間に、心の揺れを捨てて、本能や感情に支配されず、
心が感情で揺れた瞬間に、心の揺れを捨てて、本能や感情に支配されず、
有りの儘を、静かに観察して、道理に基づいて、冷静に思考し、
冷静に判断して、発見した瞬間に、智慧が現れる。
心の揺れを捨てた、その瞬間、苦の滅尽に触れ、苦の滅尽の味見(小さな経験)をしています。
心の揺れが、煩悩(貪瞋癡)。心の揺れを捨てた、その瞬間、苦の滅尽に触れ、苦の滅尽の味見(小さな経験)をしています。
心が揺れたら、煩悩が現れた状態。
その揺れを捨てる。
仏教の実践は、心の揺れ(煩悩)を捨てる事、から始まる。
執着を捨てるとは、心の揺れを捨てる事、から始まる。
2013年1月12日土曜日
捨:理性(viññū)と悟り(苦の滅尽)
2012.12.16(日)
日本テーラワーダ仏教協会の関西月例冥想会(三田:マーヤーデービー精舎)にて
アルボムッレ・スマナサーラ長老に捨-Upekkhāと理性の関係に付いて質問をさせて頂きました。
<質問2>
「心の揺れを捨てる。」事は、理性ですか。
<回答>
理性とは、パーリ語でviññū(知的な、賢い)の事。
心の揺れを捨てる事は、理性の一部。
日本テーラワーダ仏教協会の関西月例冥想会(三田:マーヤーデービー精舎)にて
アルボムッレ・スマナサーラ長老に捨-Upekkhāと理性の関係に付いて質問をさせて頂きました。
<質問2>
「心の揺れを捨てる。」事は、理性ですか。
<回答>
理性とは、パーリ語でviññū(知的な、賢い)の事。
心の揺れを捨てる事は、理性の一部。
2012年12月31日月曜日
捨-Upekkhā 5つの質問
2012.12.16(日)
日本テーラワーダ仏教協会の関西月例冥想会(三田:マーヤーデービー精舎)にて
アルボムッレ・スマナサーラ長老に捨-Upekkhāについて5つ質問をさせて頂きました。
1)「心の揺れを捨てる。」事が、捨-Upekkhāですか。
2)「心の揺れを捨てる。」事は、理性ですか。
3)慈悲の土台は、捨-Upekkhāですか。
4)「心の揺れを捨てる。」事は、執着を捨てる事ですか。
5)仏教で言う幸せとは、
心の揺れを捨てて、冷静に観察し、発見する事。ですか。
日本テーラワーダ仏教協会の関西月例冥想会(三田:マーヤーデービー精舎)にて
アルボムッレ・スマナサーラ長老に捨-Upekkhāについて5つ質問をさせて頂きました。
1)「心の揺れを捨てる。」事が、捨-Upekkhāですか。
2)「心の揺れを捨てる。」事は、理性ですか。
3)慈悲の土台は、捨-Upekkhāですか。
4)「心の揺れを捨てる。」事は、執着を捨てる事ですか。
5)仏教で言う幸せとは、
心の揺れを捨てて、冷静に観察し、発見する事。ですか。
2012年9月11日火曜日
2012年9月10日月曜日
捨:忍耐
「充実感こそ最高の財産」(P74~P70)より
仏教に「忍耐」と言う言葉があります。
パーリ語でkhanti(カンティー)と言います。
サンスクリット語では(クシャーンティ)と言い、
ヒンドゥー教の人々は「クシャーンティ、クシャーンティ」と言って互いに挨拶を交わしています。
では「忍耐」とは何でしょう?
日本人の間では昔から、苦しい事や辛い事を我慢して耐え忍ぶ事を忍耐と言っている様ですが、仏教ではちょっと意味が違います。
忍耐とは、心の平安や平和を意味するんですね。
仏教に「忍耐」と言う言葉があります。
パーリ語でkhanti(カンティー)と言います。
サンスクリット語では(クシャーンティ)と言い、
ヒンドゥー教の人々は「クシャーンティ、クシャーンティ」と言って互いに挨拶を交わしています。
では「忍耐」とは何でしょう?
日本人の間では昔から、苦しい事や辛い事を我慢して耐え忍ぶ事を忍耐と言っている様ですが、仏教ではちょっと意味が違います。
忍耐とは、心の平安や平和を意味するんですね。
2012年7月28日土曜日
2012年4月24日火曜日
捨:執着を捨てる事が解脱
(安らぎへの道は険しくない)より
http://www.j-theravada.net/howa/howa165.html
「すぐ解脱に達しますよ」と釈尊に言われても、実際に、解脱に達する人は少ないのも事実です。
それは人々の理解能力の問題です。
生きることは苦である、という真理を認めたくはないのです。
何を言われても、生きることでいろいろ楽しみがあるのではないかと、思っている。
それで、生きることに執着するのです。
執着を捨てることが、解脱です。
「執着を捨てたくないが、ブッダの教えはありがたい。
実践したい」と言っても矛盾があります。
ブッダの説かれた「生きることは苦である」という真理を否定しているのです。
その真理を否定すると、「解脱は最高の幸福である」という真理も否定しているのです。
http://www.j-theravada.net/howa/howa165.html
「すぐ解脱に達しますよ」と釈尊に言われても、実際に、解脱に達する人は少ないのも事実です。
それは人々の理解能力の問題です。
生きることは苦である、という真理を認めたくはないのです。
何を言われても、生きることでいろいろ楽しみがあるのではないかと、思っている。
それで、生きることに執着するのです。
執着を捨てることが、解脱です。
「執着を捨てたくないが、ブッダの教えはありがたい。
実践したい」と言っても矛盾があります。
ブッダの説かれた「生きることは苦である」という真理を否定しているのです。
その真理を否定すると、「解脱は最高の幸福である」という真理も否定しているのです。
2012年3月31日土曜日
第一回 摂津勉強会
本日から、大阪府の摂津で勉強会が始まりました。
(高槻市立総合市民交流センター 3F)
勉強会で、私が頂いた実りです。
(1)捨てる。と、手放す。
(2)この瞬間を意識する。
私は、正月のアラナの宿泊冥想会に参加で、溢れる程の実りを
頂きました。
その後、
「24時間、心と身体の観察して、心が揺れた瞬間に捨てる。
この呼吸を吐き終わるまでに死ぬかも知れない。」
(※絶えず、死を意識する事も、Appamādaです。:プッタタート比丘)
という、訓練をしており、
今、この瞬間瞬間の苦しみからの解放を実感しております。
また、美しい、楽しいと感じて、心は揺れても、
終了宣言をして、対象に執着しない訓練もしております。
「手放すとは、エネルギーを解放する。」
との話を頂き、また一つ苦の滅尽の理解が深まりました。
(捨てる。と、手放す。は同じ事と、理解しています。)
私が、心が揺れた瞬間に捨てていたのは、エネルギーである事。
また、エネルギーを手放す事をイメージする事でも
瞬間瞬間の苦の滅尽になる事を理解しました。
(高槻市立総合市民交流センター 3F)
勉強会で、私が頂いた実りです。
(1)捨てる。と、手放す。
(2)この瞬間を意識する。
私は、正月のアラナの宿泊冥想会に参加で、溢れる程の実りを
頂きました。
その後、
「24時間、心と身体の観察して、心が揺れた瞬間に捨てる。
この呼吸を吐き終わるまでに死ぬかも知れない。」
(※絶えず、死を意識する事も、Appamādaです。:プッタタート比丘)
という、訓練をしており、
今、この瞬間瞬間の苦しみからの解放を実感しております。
また、美しい、楽しいと感じて、心は揺れても、
終了宣言をして、対象に執着しない訓練もしております。
「手放すとは、エネルギーを解放する。」
との話を頂き、また一つ苦の滅尽の理解が深まりました。
(捨てる。と、手放す。は同じ事と、理解しています。)
私が、心が揺れた瞬間に捨てていたのは、エネルギーである事。
また、エネルギーを手放す事をイメージする事でも
瞬間瞬間の苦の滅尽になる事を理解しました。
2012年3月2日金曜日
捨:心は一瞬で変わる
家族と財産を失った10日後の2010年の1月2日に、
長老の本「怒らないこと」に出会い、1ヶ月間、毎日、毎日、何度も何度も読み返しました。
オーディオブックも購入して、歩きながら、掃除をしながら、絶えず聞いていました。
もっと理解したくて、倍速版までも購入しました。
今までに軽く50回は聞いているでしょう。
いや、100回は聞いているかも。
この本と出会った2週間後の1月15日頃に、家族に騙された事に怨み、布団の中で悔し涙が止めども無く流れていた。
が
「涙は、怒りだ」と、思った瞬間に。
けろっとして、何事もなかったように、心が穏やかに成った。
長老の本「怒らないこと」に出会い、1ヶ月間、毎日、毎日、何度も何度も読み返しました。
オーディオブックも購入して、歩きながら、掃除をしながら、絶えず聞いていました。
もっと理解したくて、倍速版までも購入しました。
今までに軽く50回は聞いているでしょう。
いや、100回は聞いているかも。
この本と出会った2週間後の1月15日頃に、家族に騙された事に怨み、布団の中で悔し涙が止めども無く流れていた。
が
「涙は、怒りだ」と、思った瞬間に。
けろっとして、何事もなかったように、心が穏やかに成った。
2012年2月27日月曜日
仏教の真髄を掘り出す道具
仏教の「信」は、手を合わせてお願いをする信仰では無く、ブッダの法を理解、納得、実践して確信する。です。
豪華絢爛に装飾された仏教の扉を開け、奥に光り輝くブッダの真髄を取り出す道具(方法)を紹介します。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
タンマを信奉する時、自由であって下さい。その為に、仏教の中のダイヤモンドと、ダイヤモンドを掘り出す道具の両方を差し上げます。これから差し上げる物を、仏教の中のダイヤモンドと言います。つまり、タンマを受け入れ信奉する上での最高の自由です。
「カーラーマ経(kālāmā sutta)」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。
それは最高の自由であり、最高に民主的です。
内容は、カーラーマの人々が、「どう受け入れたら良いのか分から無いほど、色んな教義を教える人がいるので、どうしたら良いでしょう」と質問した事に対し、ブッダが、カーラーマ経の十項目と呼ばれている物で答えた物です
豪華絢爛に装飾された仏教の扉を開け、奥に光り輝くブッダの真髄を取り出す道具(方法)を紹介します。
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プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html
タンマを信奉する時、自由であって下さい。その為に、仏教の中のダイヤモンドと、ダイヤモンドを掘り出す道具の両方を差し上げます。これから差し上げる物を、仏教の中のダイヤモンドと言います。つまり、タンマを受け入れ信奉する上での最高の自由です。
「カーラーマ経(kālāmā sutta)」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。
それは最高の自由であり、最高に民主的です。
内容は、カーラーマの人々が、「どう受け入れたら良いのか分から無いほど、色んな教義を教える人がいるので、どうしたら良いでしょう」と質問した事に対し、ブッダが、カーラーマ経の十項目と呼ばれている物で答えた物です
ラベル:
appamāda:不放逸,
kālāmā sutta:カーラーマ経,
upekkhā:捨,
プッタタート比丘,
三蔵経,
仏教
2012年2月22日水曜日
捨:生かされている。とは
(私感です。)
「生かされている」とは、
見えない何かの力に、生かされているのでは無く。
目の前の事(この状態)に最善を尽くす。と言う事です。
今、この瞬間、この与えられたこの状態、この目の前の状況に、不満、怒りを捨て、理性と慈しみで、確り最善を尽くして行動する事です。
与えられた状態、身体(不自由でも)、仕事(理不尽な処遇でも)、人間関係(いじめられても、嫌いでも)、家(荒ら屋でも)、食事(粗食でも)、勉強(苦手でも)、家庭(歪んでいても)、排便さえも、睡眠にも最善を尽くして行動す事です。
目の前の状況の、不満、怒り、悲しみ、絶望さえも捨て、心を穏やかにし、理性と慈しみを持って、与えられたこの中で最善を尽くして行動する。
「生かされている」とは、そういう事だと思います。
目の前の事、この状態に最善を尽くす。と言う事です。
「生かされている」とは、
見えない何かの力に、生かされているのでは無く。
目の前の事(この状態)に最善を尽くす。と言う事です。
今、この瞬間、この与えられたこの状態、この目の前の状況に、不満、怒りを捨て、理性と慈しみで、確り最善を尽くして行動する事です。
与えられた状態、身体(不自由でも)、仕事(理不尽な処遇でも)、人間関係(いじめられても、嫌いでも)、家(荒ら屋でも)、食事(粗食でも)、勉強(苦手でも)、家庭(歪んでいても)、排便さえも、睡眠にも最善を尽くして行動す事です。
目の前の状況の、不満、怒り、悲しみ、絶望さえも捨て、心を穏やかにし、理性と慈しみを持って、与えられたこの中で最善を尽くして行動する。
「生かされている」とは、そういう事だと思います。
目の前の事、この状態に最善を尽くす。と言う事です。
2012年2月16日木曜日
捨。冥想は、捨てる訓練
(“悟りたい”人が悟れない理由)より
http://gotami.j-theravada.net/2006/07/dhammacast-21.html
「悟りたい」は、執着。
「幸福に成りたい」も、執着。
「苦しみを無くしたい」は、無執着。
仏教は、『執着を捨てる』ことを教えます。
冥想は、捨てる訓練。
仏教の冥想法は、「捨てる訓練」なのです。
http://gotami.j-theravada.net/2006/07/dhammacast-21.html
「悟りたい」は、執着。
「幸福に成りたい」も、執着。
「苦しみを無くしたい」は、無執着。
仏教は、『執着を捨てる』ことを教えます。
冥想は、捨てる訓練。
仏教の冥想法は、「捨てる訓練」なのです。
2012年2月15日水曜日
捨。智慧、禅定に執着しない。
13.もうひとつの生き方 I (1)智慧もサマディも悟りではありません
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi63.html
(1)智慧もサマディも悟りではありません
■完全な悟りはどうやって得るのか■
仏教の世界で、一番優れていたと言われるのはお釈迦さまの一番弟子であるサーリプッタ尊者です。サーリプッタ尊者ほど、仏教の話を明確に説明できる人はいなかったのです。ですので、いろいろな修行者たちが悩んだとき、問題にぶつかったとき、彼らを解決に導いてあげたのは、ほとんど、サーリプッタ尊者だったのです。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi63.html
(1)智慧もサマディも悟りではありません
■完全な悟りはどうやって得るのか■
仏教の世界で、一番優れていたと言われるのはお釈迦さまの一番弟子であるサーリプッタ尊者です。サーリプッタ尊者ほど、仏教の話を明確に説明できる人はいなかったのです。ですので、いろいろな修行者たちが悩んだとき、問題にぶつかったとき、彼らを解決に導いてあげたのは、ほとんど、サーリプッタ尊者だったのです。
2012年2月13日月曜日
捨。完璧な道
(CD: インドゥリヤ バーワナー(六根の冥想)
ヴィパッサナー冥想の極意)より
中部経典 インドゥリヤ バーワナー スッタ (第152 感官修習経)
Majjhimanikāya 5.10 Indriya bhāvanā sutta
454
Etaṃ santaṃ etaṃ paṇītaṃ yadidaṃ — upekkhā’ti.
これが、安穏である、これが、勝れている、それは、何でしょうか?
捨-Upekkhāである。
心地良さが生まれても、捨を実践すると、安穏な気持ちになる。
それが、冥想と言う事。
捨-Upekkhāとは、
・心の波を立てないで平安に保つ。
・心を冷静な状態で保つ。
花を見たら、パッと気持ちよくなる。
が、直ぐに、これは造られた物で、あまり品のある物ではない。
一瞬で、サッと、気持ちを捨に持っていく。
興奮しないで落ち着いて平安で居るぞ。
と言うのが、修行であり、冥想であります。
ヴィパッサナー冥想の極意)より
中部経典 インドゥリヤ バーワナー スッタ (第152 感官修習経)
Majjhimanikāya 5.10 Indriya bhāvanā sutta
454
Etaṃ santaṃ etaṃ paṇītaṃ yadidaṃ — upekkhā’ti.
これが、安穏である、これが、勝れている、それは、何でしょうか?
捨-Upekkhāである。
心地良さが生まれても、捨を実践すると、安穏な気持ちになる。
それが、冥想と言う事。
捨-Upekkhāとは、
・心の波を立てないで平安に保つ。
・心を冷静な状態で保つ。
花を見たら、パッと気持ちよくなる。
が、直ぐに、これは造られた物で、あまり品のある物ではない。
一瞬で、サッと、気持ちを捨に持っていく。
興奮しないで落ち着いて平安で居るぞ。
と言うのが、修行であり、冥想であります。
2012年2月12日日曜日
捨。Upekkhā
心を育てるキーワード集 →CATU-APPAMAÑÑā-CITTA: 慈悲 (四無量心)
http://www.j-theravada.net/pali/key-catu-appamanna-citta.html
----- 以下引用
upekkhā(ウペッカー) 捨
差別のない広々した平等な心でいる優しさ
捨 upekkhā 「平等心」です。
Upa という接頭語には、
「落ち着いて、包括的に」という意味があり、
それに ikkhati
「見る、観察する」が合わさった動詞
upekkhati の名詞形がupekkhā で、
「落ち着いて客観的に観察すること」というような意味になります。
一方的に偏らず、偏見がない心です。
その意味を見てもわかるように、
upekkhā と智慧はかなり近いのです。
「upekkhā が育つ」と「智慧が育つ」は同義語と言っていいほどです。
http://www.j-theravada.net/pali/key-catu-appamanna-citta.html
----- 以下引用
upekkhā(ウペッカー) 捨
差別のない広々した平等な心でいる優しさ
捨 upekkhā 「平等心」です。
Upa という接頭語には、
「落ち着いて、包括的に」という意味があり、
それに ikkhati
「見る、観察する」が合わさった動詞
upekkhati の名詞形がupekkhā で、
「落ち着いて客観的に観察すること」というような意味になります。
一方的に偏らず、偏見がない心です。
その意味を見てもわかるように、
upekkhā と智慧はかなり近いのです。
「upekkhā が育つ」と「智慧が育つ」は同義語と言っていいほどです。
2012年2月10日金曜日
捨。手放す
心に生ずるものは何であれ、手放す様にして下さい。
賞賛や見返りを期待してはいけません。
もし、少しだけ手放すのなら、
貴方は、少しだけ平安を得るでしょう。
もし、多くの物を手放すのなら、
貴方は、多くの平安を得るでしょう。
もし、あらゆる物を手放すのなら、
貴方は、完全な平安と自由を知るでしょう。
その時、
この世界に於ける貴方の戦いは、終わりを告げる事になるのです。
アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方 P104)
賞賛や見返りを期待してはいけません。
もし、少しだけ手放すのなら、
貴方は、少しだけ平安を得るでしょう。
もし、多くの物を手放すのなら、
貴方は、多くの平安を得るでしょう。
もし、あらゆる物を手放すのなら、
貴方は、完全な平安と自由を知るでしょう。
その時、
この世界に於ける貴方の戦いは、終わりを告げる事になるのです。
アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方 P104)
ラベル:
appamāda:不放逸,
upekkhā:捨,
アーチャン・チャー長老,
解脱,
悟る,
手放す
捨。解脱
お釈迦様の教えは、すべてを捨てたところ(解脱)で修了するのです。
アーチャン・チャー長老
出村佳子さんのHPより、抜粋
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html
アーチャン・チャー長老
出村佳子さんのHPより、抜粋
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html
ラベル:
appamāda:不放逸,
upekkhā:捨,
アーチャン・チャー長老,
お釈迦様,
解脱,
悟る
お釈迦様の最後の言葉
vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
ヴェアダンマー サンカーラー アッパマーデーナ サンパーデータ
諸々の現象(vayadhammā)は、 作られた物(saṅkhārā)、
アッパマーダ≒不放逸(appamādena)に、努めなさい(sampādethā)。
諸々の現象は作られた物 = 衰滅法 = 真理-衰え滅びる性質 = 諸行無常(sabbe saṅkhārā aniccā) = 仏教
アッパマーダ(≒不放逸、今の瞬間に気づいている状態(覚醒している状態)を維持する) = 仏道
この一行で、仏教と仏道を表しております。
仏教=諸行無常(vayadhammā saṅkhārā)
仏道=appamādaに努める(appamādena sampādethā)
・vayadhammā:衰滅法
vaya : ① 衰退、滅亡、消滅、衰滅
② 年代(青年、壮年、老年などの)、青春
dhammā : ① 法、教法、教え、真理、正義、義務
② 法に従う、教えに従う
・saṅkhārā: ① 行為、形成力、現象
・appamādena :
appamāda : ≒不放逸、覚醒、意識がはっきりしている
√mad : 酔う、混乱、狂う
pa+māda : 酔う状態、狂った状態
a(否定の意味)+(p)+ pamāda : 覚醒とか意識がはっきりしている
・sampādethā : sampādeti : 得る、完遂する、完成させる、努める
-----
さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」
と、これが修行を続けて来た者の最後の言葉であった。
ヴェアダンマー サンカーラー アッパマーデーナ サンパーデータ
諸々の現象は作られた物、アッパマーダ(≒不放逸)に努めなさい。
諸々の現象(vayadhammā)は、 作られた物(saṅkhārā)、
アッパマーダ≒不放逸(appamādena)に、努めなさい(sampādethā)。
アッパマーダ(≒不放逸、今の瞬間に気づいている状態(覚醒している状態)を維持する) = 仏道
この一行で、仏教と仏道を表しております。
仏教=諸行無常(vayadhammā saṅkhārā)
仏道=appamādaに努める(appamādena sampādethā)
・vayadhammā:衰滅法
vaya : ① 衰退、滅亡、消滅、衰滅
② 年代(青年、壮年、老年などの)、青春
dhammā : ① 法、教法、教え、真理、正義、義務
② 法に従う、教えに従う
・saṅkhārā: ① 行為、形成力、現象
・appamādena :
appamāda : ≒不放逸、覚醒、意識がはっきりしている
√mad : 酔う、混乱、狂う
pa+māda : 酔う状態、狂った状態
a(否定の意味)+(p)+ pamāda : 覚醒とか意識がはっきりしている
・sampādethā : sampādeti : 得る、完遂する、完成させる、努める
-----
''handa dāni, bhikkhave, āmantayāmi vo, vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā''ti. Ayaṃ tathāgatassa pacchimā vācā.
大パリニッパーナ経「ブッダ最後の旅」中村元訳 P158さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」
と、これが修行を続けて来た者の最後の言葉であった。
2012年2月9日木曜日
捨。放っておく。悟りへのパスワード。
冥想のルールは、(1)実況中継、(2)スローモーション、(3)感覚を感じる
冥想とは、実況中継。実況中継が冥想。
足がしびれたり、カラダが痛くなったら、放っておく。
この放っておく事が、悟りへのパスワード。
傷みも無常である。事を観察出来る。
(初心者指導にて)
≪所感≫
放っておくとは、捨の実践と言う事。
主観的な思考、妄想、Papañca(捏造)を捨てて、集中して、ありのままの心と身体を観察して、真理(苦、無常、無我)を発見(智慧)する事。
観察とは、
物事の状態や、変化を、当事者では無く、第三者の立場から、客観的に、冷静に、注意深く、見て、調べる。事。
冥想とは、実況中継。実況中継が冥想。
足がしびれたり、カラダが痛くなったら、放っておく。
この放っておく事が、悟りへのパスワード。
傷みも無常である。事を観察出来る。
(初心者指導にて)
≪所感≫
放っておくとは、捨の実践と言う事。
主観的な思考、妄想、Papañca(捏造)を捨てて、集中して、ありのままの心と身体を観察して、真理(苦、無常、無我)を発見(智慧)する事。
観察とは、
物事の状態や、変化を、当事者では無く、第三者の立場から、客観的に、冷静に、注意深く、見て、調べる。事。
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