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2012年2月22日水曜日

捨:生かされている。とは

(私感です。)

「生かされている」とは、
見えない何かの力に、生かされているのでは無く。
目の前の事(この状態)に最善を尽くす。と言う事です。

今、この瞬間、この与えられたこの状態、この目の前の状況に、不満、怒りを捨て、理性と慈しみで、確り最善を尽くして行動する事です。

与えられた状態、身体(不自由でも)、仕事(理不尽な処遇でも)、人間関係(いじめられても、嫌いでも)、家(荒ら屋でも)、食事(粗食でも)、勉強(苦手でも)、家庭(歪んでいても)、排便さえも、睡眠にも最善を尽くして行動す事です。

目の前の状況の、不満、怒り、悲しみ、絶望さえも捨て、心を穏やかにし、理性と慈しみを持って、与えられたこの中で最善を尽くして行動する。

「生かされている」とは、そういう事だと思います。
目の前の事、この状態に最善を尽くす。と言う事です。

2012年2月13日月曜日

捨。完璧な道

(CD: インドゥリヤ バーワナー(六根の冥想)
ヴィパッサナー冥想の極意)より

中部経典 インドゥリヤ バーワナー スッタ (第152 感官修習経)
Majjhimanikāya 5.10 Indriya bhāvanā sutta

454
Etaṃ santaṃ etaṃ paṇītaṃ yadidaṃ — upekkhā’ti.
これが、安穏である、これが、勝れている、それは、何でしょうか?
捨-Upekkhāである。

心地良さが生まれても、捨を実践すると、安穏な気持ちになる。
それが、冥想と言う事。

捨-Upekkhāとは、
・心の波を立てないで平安に保つ。
・心を冷静な状態で保つ。

花を見たら、パッと気持ちよくなる。
が、直ぐに、これは造られた物で、あまり品のある物ではない。
一瞬で、サッと、気持ちを捨に持っていく。

興奮しないで落ち着いて平安で居るぞ。
と言うのが、修行であり、冥想であります。

2012年1月30日月曜日

無明とは。

(長老の語録より、文献名調査中)

四聖諦についての無智が無明
無明とは、
・苦についての無智
・苦の生起についての無智
・苦の滅尽についての無智
・苦の滅尽に至る道の無智
これを称して無明と言う。
即ち四聖諦についての無智が無明。

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(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より

無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、

難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。