ラベル 苦の滅尽 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 苦の滅尽 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年7月15日月曜日

捨:仏教を学ぶ目的と、頂いた宝

私の仏教での目的は、
瞬間瞬間、心の揺れを捨て、理性で、今を生きる事です。

私が、仏教で頂いた最大の宝は、
瞬間瞬間、心の揺れを捨てる訓練、仏道です。

Vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā

2012年9月10日月曜日

捨:忍耐

「充実感こそ最高の財産」(P74~P70)より

仏教に「忍耐」と言う言葉があります。
パーリ語でkhanti(カンティー)と言います。
サンスクリット語では(クシャーンティ)と言い、
ヒンドゥー教の人々は「クシャーンティ、クシャーンティ」と言って互いに挨拶を交わしています。

では「忍耐」とは何でしょう?

日本人の間では昔から、苦しい事や辛い事を我慢して耐え忍ぶ事を忍耐と言っている様ですが、仏教ではちょっと意味が違います。

忍耐とは、心の平安や平和を意味するんですね。

2012年3月2日金曜日

捨:心は一瞬で変わる

家族と財産を失った10日後の2010年の1月2日に、
長老の本「怒らないこと」に出会い、1ヶ月間、毎日、毎日、何度も何度も読み返しました。
オーディオブックも購入して、歩きながら、掃除をしながら、絶えず聞いていました。
もっと理解したくて、倍速版までも購入しました。
今までに軽く50回は聞いているでしょう。
いや、100回は聞いているかも。

この本と出会った2週間後の1月15日頃に、家族に騙された事に怨み、布団の中で悔し涙が止めども無く流れていた。



「涙は、怒りだ」と、思った瞬間に。
けろっとして、何事もなかったように、心が穏やかに成った。

2012年2月9日木曜日

捨。放っておく。悟りへのパスワード。

冥想のルールは、(1)実況中継、(2)スローモーション、(3)感覚を感じる
冥想とは、実況中継。実況中継が冥想。

足がしびれたり、カラダが痛くなったら、放っておく。
この放っておく事が、悟りへのパスワード。
傷みも無常である。事を観察出来る。

(初心者指導にて)

≪所感≫
放っておくとは、捨の実践と言う事。

主観的な思考、妄想、Papañca(捏造)を捨てて、集中して、ありのままの心と身体を観察して、真理(苦、無常、無我)を発見(智慧)する事。

観察とは、
物事の状態や、変化を、当事者では無く、第三者の立場から、客観的に、冷静に、注意深く、見て、調べる。事。

捨。仏教は、突き詰めれば「捨てる」と言う事に尽きる。

「震災と祈り」サンガジャパンVol. 6 「落ち着き」だけが「自分のもの」になる より → Amazon

≪抜粋≫
仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。

長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。

仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
強力な意欲が必要です。  「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。

≪以下 原文≫

■「したい」と、言う気持ちを捨てる。

アーチャン・チャーという有名なお坊さんがいます。

田舎のお坊さんで、外国語は何もわからず、しかも森の中で生活していたのですが、世界中で有名なのです。

2012年2月4日土曜日

無我とは

生きる、ということは、
感覚を変化させることです。
感覚には苦も楽も不苦不楽もあるし、一つの感覚だけ続くことはあり得ない。

感覚は、因縁によって現れたり、消えたりするのです。

愚か者は、
「感覚が我であり、我が魂であり、永遠である」と誤解して執着して、輪廻転生して苦しむが、

理性のある人は、
感覚に対する執着を一切捨てて、解脱に達するのです。

これが釈尊の説かれた「無我」の話です。

(HP:魂は巨大妄想の産物である)
http://www.j-theravada.net/howa/howa163.html

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
お釈迦様の教えには「無我」(実体はない)の冥想があります。
どんな人も「私」に執着していますから、この教えを聞いたほうがよいでしょう。
「私」に執着することから苦しみが生じます。
それゆえ、この「無我」ということを、よく観察すべきなのです。

2012年2月3日金曜日

四聖諦-(01)

アーチャン・チャー長老 (法話:4つの聖なる真理)
出村佳子さんのHPより抜粋。
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html

この法話は1977年にイギリスのカンブリア、マンジュシュリー協会でおこなった法話です。

2012年1月30日月曜日

無明とは。

(長老の語録より、文献名調査中)

四聖諦についての無智が無明
無明とは、
・苦についての無智
・苦の生起についての無智
・苦の滅尽についての無智
・苦の滅尽に至る道の無智
これを称して無明と言う。
即ち四聖諦についての無智が無明。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より

無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、

難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。