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2012年2月9日木曜日

捨。放っておく。悟りへのパスワード。

冥想のルールは、(1)実況中継、(2)スローモーション、(3)感覚を感じる
冥想とは、実況中継。実況中継が冥想。

足がしびれたり、カラダが痛くなったら、放っておく。
この放っておく事が、悟りへのパスワード。
傷みも無常である。事を観察出来る。

(初心者指導にて)

≪所感≫
放っておくとは、捨の実践と言う事。

主観的な思考、妄想、Papañca(捏造)を捨てて、集中して、ありのままの心と身体を観察して、真理(苦、無常、無我)を発見(智慧)する事。

観察とは、
物事の状態や、変化を、当事者では無く、第三者の立場から、客観的に、冷静に、注意深く、見て、調べる。事。

2012年2月6日月曜日

捨。人の言動は、放っておく

他人は、放っておきなさい
他人の欠点を探してはいけません。  もし、彼らが間違った行いをしたとしても、その事によって、貴方自身が苦しむ必要は無いのです。  もし、貴方が彼らにどの様にするのが正しいかを指摘して、彼らが、それに従って行動しなくても、放っておく事です。

アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方 P99)

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他の人のことは放っておくのです。

自分の心を観察するだけでも十分すぎるほど大変なことです。
なぜ他人を評価するというような重荷をさらに背負うのでしょうか。

自分の呼吸や毎日の生活を冥想の場として活用する事を学ぶのです。
そうすればあなたの智慧は確実に成長します。

アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方)

2012年2月5日日曜日

冥想の心の準備

「おまえさんは、まず自分の見解を捨て、心をからっぽにせにゃならん。
そうして初めて物事を観察できるようになるわけじゃ。
わしらの修行は、利口さと愚かさの双方を超越したものじゃ。」

 (アーチャン・チャー長老 手放す生き方)

2012年2月4日土曜日

無我とは

生きる、ということは、
感覚を変化させることです。
感覚には苦も楽も不苦不楽もあるし、一つの感覚だけ続くことはあり得ない。

感覚は、因縁によって現れたり、消えたりするのです。

愚か者は、
「感覚が我であり、我が魂であり、永遠である」と誤解して執着して、輪廻転生して苦しむが、

理性のある人は、
感覚に対する執着を一切捨てて、解脱に達するのです。

これが釈尊の説かれた「無我」の話です。

(HP:魂は巨大妄想の産物である)
http://www.j-theravada.net/howa/howa163.html

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お釈迦様の教えには「無我」(実体はない)の冥想があります。
どんな人も「私」に執着していますから、この教えを聞いたほうがよいでしょう。
「私」に執着することから苦しみが生じます。
それゆえ、この「無我」ということを、よく観察すべきなのです。

2012年2月3日金曜日

四聖諦-(01)

アーチャン・チャー長老 (法話:4つの聖なる真理)
出村佳子さんのHPより抜粋。
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html

この法話は1977年にイギリスのカンブリア、マンジュシュリー協会でおこなった法話です。