心に生ずるものは何であれ、手放す様にして下さい。
賞賛や見返りを期待してはいけません。
もし、少しだけ手放すのなら、
貴方は、少しだけ平安を得るでしょう。
もし、多くの物を手放すのなら、
貴方は、多くの平安を得るでしょう。
もし、あらゆる物を手放すのなら、
貴方は、完全な平安と自由を知るでしょう。
その時、
この世界に於ける貴方の戦いは、終わりを告げる事になるのです。
アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方 P104)
2012年2月10日金曜日
捨。解脱
お釈迦様の教えは、すべてを捨てたところ(解脱)で修了するのです。
アーチャン・チャー長老
出村佳子さんのHPより、抜粋
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html
アーチャン・チャー長老
出村佳子さんのHPより、抜粋
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html
ラベル:
appamāda:不放逸,
upekkhā:捨,
アーチャン・チャー長老,
お釈迦様,
解脱,
悟る
2012年2月9日木曜日
捨。仏教は、突き詰めれば「捨てる」と言う事に尽きる。
「震災と祈り」サンガジャパンVol. 6 「落ち着き」だけが「自分のもの」になる より → Amazon
≪抜粋≫
仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。
長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。
仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
強力な意欲が必要です。 「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。
≪以下 原文≫
■「したい」と、言う気持ちを捨てる。
アーチャン・チャーという有名なお坊さんがいます。
田舎のお坊さんで、外国語は何もわからず、しかも森の中で生活していたのですが、世界中で有名なのです。
≪抜粋≫
仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。
長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。
仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
強力な意欲が必要です。 「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。
≪以下 原文≫
■「したい」と、言う気持ちを捨てる。
アーチャン・チャーという有名なお坊さんがいます。
田舎のお坊さんで、外国語は何もわからず、しかも森の中で生活していたのですが、世界中で有名なのです。
2012年2月6日月曜日
捨。人の言動は、放っておく
他人は、放っておきなさい
他人の欠点を探してはいけません。 もし、彼らが間違った行いをしたとしても、その事によって、貴方自身が苦しむ必要は無いのです。 もし、貴方が彼らにどの様にするのが正しいかを指摘して、彼らが、それに従って行動しなくても、放っておく事です。
アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方 P99)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
他の人のことは放っておくのです。
自分の心を観察するだけでも十分すぎるほど大変なことです。
なぜ他人を評価するというような重荷をさらに背負うのでしょうか。
自分の呼吸や毎日の生活を冥想の場として活用する事を学ぶのです。
そうすればあなたの智慧は確実に成長します。
アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方)
他人の欠点を探してはいけません。 もし、彼らが間違った行いをしたとしても、その事によって、貴方自身が苦しむ必要は無いのです。 もし、貴方が彼らにどの様にするのが正しいかを指摘して、彼らが、それに従って行動しなくても、放っておく事です。
アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方 P99)
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他の人のことは放っておくのです。
自分の心を観察するだけでも十分すぎるほど大変なことです。
なぜ他人を評価するというような重荷をさらに背負うのでしょうか。
自分の呼吸や毎日の生活を冥想の場として活用する事を学ぶのです。
そうすればあなたの智慧は確実に成長します。
アーチャン・チャー長老
(書籍:手放す生き方)
2012年2月5日日曜日
冥想の心の準備
「おまえさんは、まず自分の見解を捨て、心をからっぽにせにゃならん。
そうして初めて物事を観察できるようになるわけじゃ。
わしらの修行は、利口さと愚かさの双方を超越したものじゃ。」
(アーチャン・チャー長老 手放す生き方)
そうして初めて物事を観察できるようになるわけじゃ。
わしらの修行は、利口さと愚かさの双方を超越したものじゃ。」
(アーチャン・チャー長老 手放す生き方)
ラベル:
appamāda:不放逸,
upekkhā:捨,
アーチャン・チャー長老,
観察,
放っておく,
冥想
2012年2月4日土曜日
冥想とは
冥想とは、観察して、智慧が現れる事。
(法話:なぜ中道・四諦・八正道だったのか?)
http://gotami.j-theravada.net/2010/02/dhammacast-95.html
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アーチャン・チャー長老
(書籍: 手放す生き方 P26)
真の八正道。 冥想実践
http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/blog-post_823.html
貴方が冥想をする時は、
あるがままにいて下さい。
貴方が歩く時も、あるがままにいて下さい。
何にも執着せず、何にも抵抗しないで下さい。
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(初心者指導にて)
冥想のルールは、(1)実況中継、(2)スローモーション、(3)感覚を感じる
冥想とは、実況中継。実況中継が冥想。
足がしびれたり、カラダが痛くなったら、放っておく。
この放っておく事が、悟りへのパスワード。
傷みも無常である。事を観察出来る。
≪所感≫
放っておくとは、
自分の心と身体を観察する事。
観察とは、
物事の状態や、変化を、当事者では無く、第三者の立場から、客観的に、冷静に、注意深く、見て、調べる。事。
即ち、
主観的な思考や妄想をしない。と言う事。
冥想に集中する。と言う事。
それは、主観、感情、妄想、捏造を捨てて、心と身体をありのままに見る。と言う事。
捨の実践と言う事。
主観的な思考、妄想、Papañca(捏造)を捨てて、集中して、ありのままの心と身体を観察して、真理(苦、無常、無我)を発見(智慧)する事。
(法話:なぜ中道・四諦・八正道だったのか?)
http://gotami.j-theravada.net/2010/02/dhammacast-95.html
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アーチャン・チャー長老
(書籍: 手放す生き方 P26)
真の八正道。 冥想実践
http://appamado-amatapadam.blogspot.com/2012/02/blog-post_823.html
貴方が冥想をする時は、
あるがままにいて下さい。
貴方が歩く時も、あるがままにいて下さい。
何にも執着せず、何にも抵抗しないで下さい。
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(初心者指導にて)
冥想のルールは、(1)実況中継、(2)スローモーション、(3)感覚を感じる
冥想とは、実況中継。実況中継が冥想。
足がしびれたり、カラダが痛くなったら、放っておく。
この放っておく事が、悟りへのパスワード。
傷みも無常である。事を観察出来る。
≪所感≫
放っておくとは、
自分の心と身体を観察する事。
観察とは、
物事の状態や、変化を、当事者では無く、第三者の立場から、客観的に、冷静に、注意深く、見て、調べる。事。
即ち、
主観的な思考や妄想をしない。と言う事。
冥想に集中する。と言う事。
それは、主観、感情、妄想、捏造を捨てて、心と身体をありのままに見る。と言う事。
捨の実践と言う事。
主観的な思考、妄想、Papañca(捏造)を捨てて、集中して、ありのままの心と身体を観察して、真理(苦、無常、無我)を発見(智慧)する事。
2012年2月3日金曜日
真理とは
· 真理とは、四聖諦(苦集滅道)
苦諦:生きる事は苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(八正道)
· 真理とは、苦、無常、無我
(書籍;調査中)
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(書籍:サンガジャパンVol. 6「震災と祈り」
「落ち着き」だけが「自分のもの」になる P170-176)
・仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
・仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
・仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。
・長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
・お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。
・仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
・強力な意欲が必要です。 「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。
苦諦:生きる事は苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(八正道)
· 真理とは、苦、無常、無我
(書籍;調査中)
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(書籍:サンガジャパンVol. 6「震災と祈り」
「落ち着き」だけが「自分のもの」になる P170-176)
・仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
・仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
・仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。
・長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
・お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。
・仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
・強力な意欲が必要です。 「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。
2012年2月2日木曜日
真の八正道。 冥想実践
アーチャン・チャー長老
(書籍: 手放す生き方 P26)
仏教の伝統的な教えでは、八正道は、
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八種から成ります。
しかし、真の八正道は、
二つの目、二つの耳、二つの鼻孔、一つの舌、一つの身体という、私達自信の中にある物です。
これらの八つの門は、
私達の実践の全てであり、実践の道を歩む際の精神を表す物です。
これらの八つの門を
良く観察し、検討してみて下さい。
そうすれば、全てのダルマがそこに顕現する事でしょう。
2012年1月30日月曜日
無明とは。
(長老の語録より、文献名調査中)
四聖諦についての無智が無明
無明とは、
・苦についての無智
・苦の生起についての無智
・苦の滅尽についての無智
・苦の滅尽に至る道の無智
これを称して無明と言う。
即ち四聖諦についての無智が無明。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より
無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、
難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。
四聖諦についての無智が無明
無明とは、
・苦についての無智
・苦の生起についての無智
・苦の滅尽についての無智
・苦の滅尽に至る道の無智
これを称して無明と言う。
即ち四聖諦についての無智が無明。
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(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より
無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、
難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。
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