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2012年12月31日月曜日

捨-Upekkhā 5つの質問

2012.12.16(日)
日本テーラワーダ仏教協会の関西月例冥想会(三田:マーヤーデービー精舎)にて
アルボムッレ・スマナサーラ長老に捨-Upekkhāについて5つ質問をさせて頂きました。

1)「心の揺れを捨てる。」事が、捨-Upekkhāですか。
2)「心の揺れを捨てる。」事は、理性ですか。
3)慈悲の土台は、捨-Upekkhāですか。
4)「心の揺れを捨てる。」事は、執着を捨てる事ですか。
5)仏教で言う幸せとは、
  心の揺れを捨てて、冷静に観察し、発見する事。ですか。

2012年4月24日火曜日

捨:執着を捨てる事が解脱

(安らぎへの道は険しくない)より
http://www.j-theravada.net/howa/howa165.html

「すぐ解脱に達しますよ」と釈尊に言われても、実際に、解脱に達する人は少ないのも事実です。

それは人々の理解能力の問題です。
生きることは苦である、という真理を認めたくはないのです。
何を言われても、生きることでいろいろ楽しみがあるのではないかと、思っている。
それで、生きることに執着するのです。

執着を捨てることが、解脱です。

「執着を捨てたくないが、ブッダの教えはありがたい。
実践したい」と言っても矛盾があります。
ブッダの説かれた「生きることは苦である」という真理を否定しているのです。
その真理を否定すると、「解脱は最高の幸福である」という真理も否定しているのです。

2012年3月31日土曜日

第一回 摂津勉強会

本日から、大阪府の摂津で勉強会が始まりました。
(高槻市立総合市民交流センター 3F)

勉強会で、私が頂いた実りです。

(1)捨てる。と、手放す。
(2)この瞬間を意識する。
私は、正月のアラナの宿泊冥想会に参加で、溢れる程の実りを
頂きました。

その後、
「24時間、心と身体の観察して、心が揺れた瞬間に捨てる。
この呼吸を吐き終わるまでに死ぬかも知れない。」
(※絶えず、死を意識する事も、Appamādaです。:プッタタート比丘)
という、訓練をしており、
今、この瞬間瞬間の苦しみからの解放を実感しております。

また、美しい、楽しいと感じて、心は揺れても、
終了宣言をして、対象に執着しない訓練もしております。

「手放すとは、エネルギーを解放する。」
との話を頂き、また一つ苦の滅尽の理解が深まりました。
(捨てる。と、手放す。は同じ事と、理解しています。)

私が、心が揺れた瞬間に捨てていたのは、エネルギーである事。
また、エネルギーを手放す事をイメージする事でも
瞬間瞬間の苦の滅尽になる事を理解しました。

2012年2月29日水曜日

仏教の精髄

プッタタート比丘(三蔵の中のダイヤモンド)より抜粋
http://space.geocities.jp/tammashart/book-sanzou.html

仏教の精髄とは何でしょうか。
それは、

サッペー タンマー ナーラン アピニヴェサーヤ
Sabbe dhammā nālaṃ abhinivesāyā
何物も、私、私のものと執着するべきではない

というブッダの言葉です。
これが三蔵の中のたった一粒のダイヤモンドです。
それが拡大されていろんな形になりました。

2012年2月16日木曜日

捨。冥想は、捨てる訓練

(“悟りたい”人が悟れない理由)より
http://gotami.j-theravada.net/2006/07/dhammacast-21.html

「悟りたい」は、執着。
「幸福に成りたい」も、執着。
「苦しみを無くしたい」は、無執着。

仏教は、『執着を捨てる』ことを教えます。

冥想は、捨てる訓練。
仏教の冥想法は、「捨てる訓練」なのです。

2012年2月9日木曜日

捨。仏教は、突き詰めれば「捨てる」と言う事に尽きる。

「震災と祈り」サンガジャパンVol. 6 「落ち着き」だけが「自分のもの」になる より → Amazon

≪抜粋≫
仏教の真理は、ひと言で言えば「捨てる」
仏教の、悟りのポイントは、ただそれだけなのです。
仏教は突き詰めれば「捨てる」ということに尽きるのです。

長老方、指導者たちは、いつでも「捨てたら楽」だということを言っているのです。
お釈迦様も「私の物で無い物は、捨てなさい」と同じ言葉をずっと説かれます。

仏教がポイントとする姿勢というのは、捨てて意欲だけ持つ、ということです。
強力な意欲が必要です。  「やり抜く」という負けず嫌いが必要です。

≪以下 原文≫

■「したい」と、言う気持ちを捨てる。

アーチャン・チャーという有名なお坊さんがいます。

田舎のお坊さんで、外国語は何もわからず、しかも森の中で生活していたのですが、世界中で有名なのです。

2012年2月4日土曜日

無我とは

生きる、ということは、
感覚を変化させることです。
感覚には苦も楽も不苦不楽もあるし、一つの感覚だけ続くことはあり得ない。

感覚は、因縁によって現れたり、消えたりするのです。

愚か者は、
「感覚が我であり、我が魂であり、永遠である」と誤解して執着して、輪廻転生して苦しむが、

理性のある人は、
感覚に対する執着を一切捨てて、解脱に達するのです。

これが釈尊の説かれた「無我」の話です。

(HP:魂は巨大妄想の産物である)
http://www.j-theravada.net/howa/howa163.html

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お釈迦様の教えには「無我」(実体はない)の冥想があります。
どんな人も「私」に執着していますから、この教えを聞いたほうがよいでしょう。
「私」に執着することから苦しみが生じます。
それゆえ、この「無我」ということを、よく観察すべきなのです。

2012年2月3日金曜日

四聖諦-(01)

アーチャン・チャー長老 (法話:4つの聖なる真理)
出村佳子さんのHPより抜粋。
http://homepage3.nifty.com/sukha/Ajhancha_4nobletruth_.html

この法話は1977年にイギリスのカンブリア、マンジュシュリー協会でおこなった法話です。

2012年1月30日月曜日

捨。中道とは、揺らがない心。「捨」

(根本仏教講義→8.苦集滅道 (2)仏陀の苦行から悟りまで)
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi39.html

中道の出発点は、何物にも囚われない心です。